過剰冷房とアンチテーゼ

暑いのと寒いの、どっちが好き?
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断然、暑いほうが好き。

夏場の過剰冷房には、怒りさえおぼえる。
外と中の気温差に疲れるということもあるけど、それより、夏らしさをきちんと感じる権利を奪われるということに対して、「うううう~、……ぅあ゛ーーーーっ!」となる。
いかに季節感を大切にして生きるかということは、日本人として、なんていうと口幅ったいが、少なくとも、時間という概念に対してそれを螺旋的に捕らえるセンスを涵養してきた我々としては、生活の上での最重要課題といっていい。
過剰冷房の氾濫は、すなわち文化の喪失である。

五感のそれぞれに訴える要素を、夏の暑さは持っている。暑さそのものはもちろん、太陽の輝き、草花の薫り、蟲の鳴き、ビール。冬は、それに対する引き算で成り立っている。引き算は日本文化の特質だけど、夏という基準があるからこその冬の美だ。
より寒い地域のそれと比較すると良く分かるはずだ。そこの住人の冬は慢性化していて、夏に基準を置くべくも無い。僕は北海道育ちだから、「内地」の夏の色濃さや鮮やかさに、ある意味ジャパネスクを感じてしまう。
侘びだとか寂びだとかには、四季のコントラストが一つの、しかし重要な要素として埋め込まれてるはずだけれど、そのコントラストの軸ははやっぱり夏で、夏に対するアンチテーゼこそが侘び寂びだったりもするのかもしれない。
またまたいい加減なことを良く知りもせずに偉そうに書いてしまったが、そこそこそんなもんじゃないかとも思う。

くそ暑い昼下がりの自室で、横になって黒ビールを嚥下しつつ、質の良いボサノヴァを聴きながら迎えるまどろみ。日本文化とは何の関係も無いけど、僕の一年の計の中に無くてはならないシチュエーションだ。

似てるけど全然違う議論で、焼け死ぬのと凍え死ぬのだったらどっちがマシ?というのがあるが、この場合は凍え死ぬのを選ぶ。その辺の乖離というか矛盾については、今のところ偉そうに書ける何をも持ってはいない。

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