「ハートカクテル」考 ~ vol.012 兄のジッポ

涙なしには語れない、初期の名作だと思う。個人的には。
というか、ヒロインの麗子さんがタイプである。

何がいいかというと、まずワンレンである。当回は1984年の正月だが、いわゆる「ワンレン・ボディコン」みたいに称されて世間的に認知されるのは、5年ほど後だから、この麗子嬢、大分時代の先を行っているかもしれない。当時の有名人で言えば、小生的には、この年のヒットソング、「雨音はショパンの調べ」の小林麻美あたりが思い浮かぶ。ややパーマ掛かってたものの、「ワンレンのお姉さま」の先駆け的存在と言えるだろう。ちなみに、原曲の、ガゼボ「I Like Chopin」もいいから、下に勝手に貼っておく。
次に、体のラインが滑らかに浮かぶ茶色(恐らくフェルト地)のコートだ。いい女はこれが似合わねばなるまい。その点昨今の若いのは…、などと宣うのは、ここでは止めておく。
そして、何と言っても、若い寡婦である、という点だ。下世話でホント申し訳ないが、男はこれには弱い、はずだ。
こりゃさすがに主人公じゃなくとも、「母さん オレ麗子さんと結婚しようかナ」と、思わず言ってしまいたくなる。まぁ、その時の母さんのショックというか戸惑いといったらないと思うが。昔の農村なんかだと、寡婦は兄弟が引き受ける、というのが当たり前だったらしいけど、そんな時代でもあるまい。

主人公はタケシというらしいが、この名は、前回に引き続き、である。のちにも何度か登場して、恐らく「ハートカクテル」の中で最も良く出てくる男性名だと思うが、カウントするのは止めておく。

この田舎の舞台に、80年代的華やぎは、ない。兄貴なぞ、当時の田舎のヤンキー上がりのような体でさえある。最初のコマなんか、北海道の寒村の駅そのまんまで、こりゃまるで「北の国から」じゃないか。その意味での「ハートカクテル」らしからなさ、みたいなのは、vol.6と同様だが、だからこそ、恐らく遠く都会から来たであろう麗子の存在が浮き立つ。
思うのだけれど、まだこの時期の「ハートカクテル」制作サイドとしては、のちに確立される本作のイメージみたいなものを、はっきり自覚していなかったんじゃないか。画風、色味なんかも、vol.50あたりから急に鮮やかになるのだが、そのあたりから、コレで行こう、といえるものが、固まったのだと想像する。制作陣の試行錯誤が垣間見えるのが興味深い。

ラストの、結局手を握ってしまうくだり、タケシの心の動きが良く伝わってくる。「そ、そうスか」と言うしかないシチュエーション。これって、男ならだれでも似たような経験があると思うが、つくづく本作って、男のファンタジーだよなぁ、と思うのである。

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