永のご無沙汰である。
政局ウォッチャーを自認して、あの2009年の衆院選を華麗に予測するつもりだったが、見事に外れたため、すっかりモチベーションを挫かれ、当ブログの放置に至った次第。そんな訳だから、逆に、ブログ向けの主題さえあれば、容易に再開できるわけだが、先月ついにそれを発見してしまったのである。
ことあるたびに申し述べてきたが、小生は80年代ノスタルジーを強く抱いている。当時の映画や音楽はもちろん、思想や文学、はたまた当時のパソコン(いわゆるレトロPC)に至るまで、あらゆるモノ/コトに、モノノアハレというかイトヲカシというかを感じるのである。それこそ政局だって中曽根政権下のソレにもっとも興味がわく。
先月の始め、職場近くのデパートの催事場で、「わたせせいぞう展」をやっていた。震災復興支援の名目らしい。仕事の休憩中にふらっと立ち寄った(その日初めてその催事場の存在を知ったのだが)。これぞバブリー80年代の象徴ともいうべき絵がパネルを埋めつくしていたが、そのときの第一印象について申し述べるなら、小生の80年代に対する想いの変遷を語らねばならない。
小生がもっとも「多感」だったのは、大学時代であろう。バブル崩壊からそれほど間がない頃、いわゆる失われた10年(20年)の始まりで、先行きが怪しい分、華やかなりし80年代に対する否定と未練がない交ぜになったような空気がぼんやりと存在していた気がする。
小生は、いわゆる当時のHR/HM(特にBON JOVIなどのメロディアスなやつ)好きのミーハーだったのが、大学時代に出会ったよりディープなロックマニア達によって、やれNIRVANAだの、LENNY KRAVITZだのの、80年代的なウェット感を否定する、90年代初期のムーヴメントにすっかり乗せられてしまった(BON JOVIに対する愛と忠誠だけは、今に至るまで欠かしたことはないが)。特に目の敵としていたのは、いわゆるジャパフュー、つまり、カジオペアやT-SQUAREなどの和製フュージョンだ。つまりは「何だこのハイソなプチブル音楽は!」と、連合赤軍のごとき革命精神に燃えていたのである。そのうち、音楽的によりラディカルなのはジャズではないかと思うに至り、バンドでギターをやっていたからテクニック習得のために渡辺香津美やら野呂一生らジャパフューのギタリスト達のプレイをコピーするようになるのだが、それが大体大学3年ぐらいである。我ながら随分お粗末な革命精神だとは思う。
それでも80年代否定が完全に溶けたわけではない。人間歳を重ねるとノスタルジー成分が増してくるのは自然の理と思うが、それと相まって、ようやく「やっぱ初期の松田聖子は凄いよね」みたいな境地に辿り着くのである。
なんというか、80年代的なるものを一つ一つ意識しつつほどいていったような感じなのだが、つい先月までほどけていなかった80年代が、「わたせせいぞう」であったのだろう。
だから、件の催事場に足を踏み入れた瞬間に想起されたのは、「なんだこのハイソなプチブルな絵は!」だったのである。大体、わたせせいぞう氏の名前すら知らない有り様だ。即座にその場を立ち去っても良かったのだが、今思うとすでにほんのりノスタルジーを感じ始めていたらしく、一歩二歩と歩みを進めてしまっていた。
いくつかの「4ページのファンタジー」の原画が展示されていた。それがどれとどれかは後々明かすことにするが、不覚にも、いや、ちょっといいね、これ、と思い始めるのに、そう時間はかからず、奥の方にあった氏の漫画の単行本をパラパラとめくって観るにつけ、ほんのり目頭が熱くなっているのを覚えるに至るのだった。
その日はすぐに休憩時間が終わりを告げ、タイムアップとなったのだが、職場への帰路は、まるで、手強い敵に追い詰められ、危うくゴングに救われたボクサーの気分だったといっていい。
その日のそれからは、妙に落ち着かない雰囲気に支配され、仕様がないから数日後の展覧会最終日に再度足を踏み入れた小生は、レトロPCやら松田聖子やら中曽根政権やらに続き、またもや80年代ダークサイドに堕ちたことを悟ったのだ。
その後、わたせせいぞう氏のあれやこれやをネットで探り、氏の代表作が「ハートカクテル」なるものであることを知った。漫画のDL販売サイトの立ち読みで、読める限り読んでみたのだが、買えよ、という心のツッコミにも耐えつつだが、あぁ、これは見事に80年代であると。youtubeにもアニメ版があって、これもいい。80年代臭がプンプンする。何よりBGMがジャパフューである。登場人物の男がやたらと「やれやれ」と宣うのが、完全にツボだった。しかし、どうも展覧会での感動はない。あそこで読んだのはどうやら別の作品だったようだ。
氏の作品において、「ハートカクテル」及びその延長線上にある一話完結の作品群と、「菜」を始めとする続きもの(?)は、ちょっとスタンスが違う。前者が、「さらりとオシャレな大人のファンタジー」なのに対し、後者は、「時に重くもある、比較的リアルな人情モノ」、と言えるかもしれない。いや、もちろん一概にそう言い切れるわけではなく、前者だってあるある的リアリティに溢れている場合もあれば、後者の登場人物が充分ファンタジックな場合もある。氏の作品を全て網羅したわけではないから、尚更断定は出来ないのだが、小生のなかでの分類ではこうなります、というはなし。
で、氏は、「ハートカクテルの人」みたいに世間的にはなってるんだろうけど、後者を描けるからそ前者が引き立つ、という面は押さえておきたい。何だか偉そうな物言いだが。
話を最初に戻そう。小生が当ブログを再開するきっかけとは、他ならぬ、わたせせいぞう氏の作品である。どうだろう、「ハートカクテル」の一つ一つについて書いてみるというのは。
80年代へのリスペクトとして、なかなか興味深いテーマだと思うのだが。
やれやれ。
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