若さを羨む

まあ、些事も些事なのだが。

僕はいつもカバンに本を忍ばせていて、通勤電車内での楽しみとしている。夜にはカバンから出して枕の友とし、朝の排便の際にはトイレの友とするわけだが、昨日の出勤時に、その本が見つからない。枕やトイレの周りにもない。ただ、そのちょっと前にトイレの友とした記憶はある。
さあ、これはどういうことかと思案しているうちに、時間も迫ってきたので、とりあえず諦めた。
今朝、寂しく用を足したあとにその思案を再開したところ、ふと目に入ったのが、数ヶ月前まで使っていたカバン。押入れの辺りに放置していたものだ。もしやと思い中を覗いてみると、本はそこに、あった。

この経緯において僕に認められる障碍は、二つだ。
ほんの一寸前の出来事を忘れていること、そして、今使っているカバンがどれか覚束なかったこと。
前者は今までなかったわけじゃないけど、後者のような経験は初めて。いや、という風に、この二つを切り分けてみたところで、僕の狼狽は収まらない。これらが一遍に起こったものだから、狼狽を通り越して、ほとほと厭になった。

世の中には経験してみないとその本質が分からないというようなことが無数にあるけど、変な話、老化こそその最たるものではないか。
若さは確かに羨ましいけど、いざこうなってみると、経験しておいて良かった、その何たるかをを垣間見ることが出来た、さあどうやって備えよう、という気にはなった。

繰り返すが、それでも若さを羨む気には変わりない。

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