いやー、残念だった。アカデミー賞。
もちろん、『おくりびと』と『つみきのいえ』が受賞に至ったことはホントにうれしい。僕はどっちも未見だけれども、ことに『おくりびと』には日本文化や日本映画独特の何物かが詰まってると勝手に想像するし、それが評価されたということだとも想像するから、感慨もひとしおである。
モックンは何かタダモノならぬ気配がある。極めて謙虚な態度を崩さないのは恐らく日本人的な美徳から発せられるものだろうし、チェロや納棺士の技術習得のエピソードを見聞きするにつれ、俳優としての映画に対する取り組みはひとかたならぬものがあると思った。そもそも本作は彼自身の発案によって彼自身があたためて来たものらしいから、映画人としてのセンスも一流なのであろう。何よりツラ構えがいい。アブラっこさの無い、侘びやら寂びやらがきちんとハマるマスクをしている。その点渡辺謙は、ハリウッド向けのマスクである。
加えて、広末涼子がキレイだ。レッドカーペットを跋扈するどの女優よりもキレイだと思った。
さて、何が残念だったかというと、もちろん我らがミッキー・ロークである。
ショーン・ペンに主演男優賞を持っていかれてしまった。
そもそもロークは、事前のインタビューで「賞を獲るのはペンだろう」と言っていたし、ペンが監督の『プレッジ』辺りの経緯で、ペンに感謝していることは確かだから、何ら地団駄踏むような心持ではないとは思うのだが、ロークがこれから先、主演助演問わず男優賞にノミネートされる機会がまた巡ってくることがあるかどうかを考えると、ああいう性格だし、そもそも業界から好かれてなさそうだし、これが唯一のチャンスだったんじゃないかと思えて来るのである。初代『ロッキー』におけるスタローンみたいなもんだ。ちなみにスタローンの次回作の『エクスペンタブルズ』(即ちスタローン流アクション大作)にも出るらしい。オスカー狙う俳優が出るべき作品じゃないのは明らかだ。
そんなわけで残念がっていたら、当のショーン・ペンが受賞スピーチの一番最後に、「Mickey Rourke rises again. He is my brother.」とやった。
演技派といえるショーン・ペンがそこまで言うわけだし、あんた『バーフライ』とかでスゲー演技見せてくれたりもしたでしょ、作品さえちゃんと選びさえすれば、あんた自身は未練無いかもしれないけれど、またまたオスカーのチャンスは巡ってくるはずだよ、俺たちファンは、俳優としてのあんたがマトモに評価されるのを心待ちにしてるんだよ、…みたいなことを、本人に言いたい。そして、「お前ファックなヤツだな。そんなモン気にしてちゃ、やってらんねんだよ」みたいなことを、言われたい。
20年前と今とでは、随分とキャラが違うわけだが、正直彼の中でどっちが「主」でどっちが「従」なのかは、良く分からない。まぁ、その狭間で本人が悩んでたということなのだろうけど、この一連の経緯においては、今が「主」であることをタテマエとすることに、何ら異論は無い。
ただ、あのモニョモニョ声のミッキーへの愛着があるからこそ、今のミッキーも好きなんであって、そのことはちゃんと評価しようぜ、ということは言いたいし、本人にも認めて欲しい。
何はともあれ、「Mickey Rourke rises again」。
ショーン・ペンのこの言葉に、昨日の僕は救われた。