「ハートカクテル」考 ~ vol.026 ’84 ── 夏

このタイトルのつくりこそが、まさにザ・バブルであり、だからというわけではないのだが、この回は初期のハートカクテルを代表する名作の一つに数えられるだろう。
特にヒロインの造形が白眉で、本作ではめずらしいショートカット+妹キャラ。加えて、透明感とか、繊細さが表現されていて、主人公にとって、いかにも儚い存在として立ち現れているらしいことが見て取れる。強いて例えるなら、デビュー当時の原田知世か。いや、当時の原田知世がさほどに儚げであったものかどうかは知らないが。
このテの娘は、もう数年もすると、オシャレを覚えて、髪を伸ばして、恋もして、やたらといい女になってるものと相場が決まってる。彼女のそんなポテンシャルを、主人公はほんの一夏独占したつもりだったに違いない。

1984年の夏といえば、ロサンゼルス・オリンピックである。その前のモスクワ・オリンピックは、日本を含めた西側諸国のボイコットでもって全くといっていいほど記憶に残ってないから、団塊ジュニアの小生が初めてちゃんと見たオリンピックといえる。この時のアメリカ文化に対する印象は強烈で、翌年の「ウィ・アー・ザ・ワールド」とも相まって、アメリカのエンターテインメントのとてつもなさをまざまざと見せつけられた。
テレビなんかでオリンピックというと、なぜジョン・ウィリアムスが書いたロス五輪のファンファーレが鳴り響くのか。

もちろんこの曲自体のインパクトもあるだろうけど、「オリンピックといえば、1984年のロス五輪」、となる人がそこそこいるからに違いない、と、小生は密かに思っている。お金の面では大成功だったらしいが、アメリカ文化の発信という面でも大成功だったろう。

当時アメリカの経済は、日本とは逆に「双子の赤字」やなんかでちょっとしょっぱかったらしく、その後ジャパンパッシングまで発展してしまうわけだが、じゃあアメリカ文化は暗かったのか、といわれると、全然そんな印象はない。むしろ、マイケル・ジャクソンやプリンス、ヒップホップ、ニュージャック、LAメタル、MTV、フットルース、トップガン、スタローン、スピルバーグ、エディ・マーフィー、グーニーズ、バック・トゥ・ザ・フューチャー、そしてレーガン…と、やたらと陽気で健康的で、日本同様「ザ・バブル」な要素に満ち溢れている。対して90年代、クリントノミクスで経済は絶好調のはずだが、オルタナ、グランジ、ウェッサイと、不健康がウリみたいなのがメインストリームを占拠してて、気分的にはバブル後の日本とそう変わらない。
じゃあ、「バブル経済」はともかく、「バブリー」なる時代の気分というのは、何によってもたらされるのか。日本とアメリカに共通する、80年台と90年台を隔てる要因、それはやっぱり、冷戦構造の崩壊じゃないか。

ちょっとお題が飛び過ぎたので、ここらで終了。
別荘、なるものを、おそらく主人公と同年代であろう「F」なる友人が所有しているというあたりを指してバブルと呼ぶのは、誠に正しい。

Facebook にシェア
[`google_buzz` not found]
[`yahoo` not found]
[`tweetmeme` not found]

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です