投稿者: enjoybeerlife

  • 女性誌の、とある傲慢

    先ほど本屋に寄ったら、女性雑誌のananがあって、特集が「SEXで恋はもっとときめく!
    」。
    表紙に大書されていた記事のタイトルに「気持ちよくって、キレイになれる。最強マスターベーションのススメ。」なるものもあって、極めて健全なる興味をそそられつつも、やや引いたのも事実だ。

    さすがに手にとることも出来なくて、家に戻って早速ネットで確認すると(実は7/30発売号だったらしい)、内容が一部「立ち読み」が出来るらしく、やや後ろめたい気持ちで覗いてみたのだが、無論男性誌の如くのエロい雰囲気ではなく、ひとまず安堵した。
    しかし、女性誌に堂々と「マスターベーション」と表紙にあるのは、いったいどうなんだと。逆セクハラとは言わないまでも、仮にそれが男性誌にあったとしてそれを見た一般女性の拒否反応を想像するに、男のエロは悪で女のエロは善と言わんばかりの傲慢極まる挑発ではないか。

    と言えばさすがに言いすぎだが、何か釈然としない思いが残る。いっそ、女性誌の体を成した男のどエロ満載の雑誌でも作って、ananとかnon-noだとかと一緒に陳列したらいい。

    何だか良く分からんが。

  • 政局予測を人に言うと当たらない件

    自民党総裁選が近づいている。
    僕が議員選挙などの政局予測をする場合、それを人に言うと外れ、言わないと当たる。
    こんなずるい予測もあったものではないが、実際そうなんだ(と自分で信じているわけだ)から、仕方がない。

    前回の総裁選では、安倍の辞任発表直後に麻生と言ってしまった。あの時点では誰しもそう思っていたに違いないし、そうじゃない可能性を見つける方が難しかったはずだ。ところが数日後に「麻生包囲網」が敷かれ、福田大逆転。「政界、一寸先は闇」という言葉をこれほど実感したことはなかった。
    僕が「麻生」と言った時点で麻生の芽が潰れたんだとしたら、随分悪いことをしたとは思うが、そんなわけはない。

    で、今回の予測は、それでも「麻生」。
    麻生さん、すみません。

    日本の喫緊の課題は広い意味での経済問題だと思うが(いや、確かにいつだってそうだったのかもしれないけど)、今回の候補の中でそれに真正面から取り組む姿勢を見せているのは与謝野氏で、更には、彼の麻生氏と並ぶ当選回数9回という数字に、安倍5回、福田6回に対する当てつけ的安心感もある(ここウン十年のうち総理大臣就任時点の当選回数が最も少ないのが、自民政権を一瞬であれ打破した細川護煕の2回、その次に少ないのが安倍、…だったはず)。僕としては、政策とその実現能力を鑑みるに与謝野氏に当選して欲しいけれど、自民党における「喫緊の課題」は、解散総選挙を行って勝利し、「直近の民意は我々が掴みましたよ」と言って民主党の参院を封じ込めるにあるはずだから、自民党という組織の生存本能は、国民的人気の高い麻生氏を選び、それが故の総裁選を自民党自体が演出していると読んでるのだが、如何。

    実のところ、総選挙で民主党が政権獲ってくれるのがベターである。期待しているのは、民主党そのものではなく、政権交代による「政治の構造改革」の効果だ。その意味では、石破氏や石原氏に当選してもらいたいのが本音である。

  • ≪BON JOVI 曲解説シリーズ≫ 05-01 ~ I Believe

    『KEEP THE FAITH』所収。

    NIRVANAとLenny Kravitz が現れて以来、とにかく80年代メタル勢は苦境に立たされていた。ロックであれば、グランジか70年代回帰ぐらいしか、世の中が受け入れなくなってきてしまったのである。例外は確かにいた。GUNS N’ ROSES はLAメタルの最後の光芒みたいに思われてたが、実は70年代を多分に密輸入していたから90年代でも充分ファッショナブルだったし、METALLICAは当初からメインストリームから距離を置いたところでマニアックなファンを育て上げ、結果として逆にグランジ連中からミュージシャンズ・ミュージシャン的な扱いを受けるまでに至っていた。しかし、他のメタルバンドはどうだったろう。OZZY OSBOURNE、WHITE SNAKE、RATT、MOTLEY CRUE、POISON、いずれも時代遅れとして揶揄の対象とすらされた挙句、鳴りを潜めることを強いられていたのだった。

    そんな中、極めて貴重なカムバックを果たしたバンドの例が、ここに二つある。

    一つは、VAN HALEN。91年に『FOR UNLAWFUL CARNAL KNOWLEDGE』を発表、80年代型HR/HMサウンドの創始者としてさすがの貫禄を見せつけた。そして我らがBON JOVI。翌92年の『KEEP~』で復活宣言、どーのこーの言われながらも意外なほどアルバムはセールスを伸ばし、バイト先のカクテルバーで流しっぱなしにしていたMTVでは連日のようにタイトルチューンがOAされ、いつのまにかトップアーティストに返り咲いていた。

    前作『NEW JERSEY』から4年もの歳月が流れ、宙ぶらりんのまま放置プレイされ続けてたBON JOVI ファンへの回答がこれ。BON JOVI に渇きに渇いていた我々にとって、まさに砂漠の中のオアシスと言ってもいい。

    グイグイ押しまくる16ビート、そして強烈なフックのサビを聴いて、思わず「BON JOVI 健在なりぃ~!」と叫んだ挙句天を仰いで感涙に咽ぶおめでたい大学生だった自分だが、何よりタイトルにグッと来た。ヨーコ・オノのアートに、脚立を登って上を見ると天井に小さく「yes」と書かれているというのがあったらしいけど、解散説まで飛び交う中辛抱強く新譜を待ち続けたその果てに「I Believe」と言われるのは、それと実によく似た話だと思ってしまった。

    フランジャーがややエグめにかかったギターのブラッシングとストラミングが、とにかく爽快。ティコは、間違いなく口を大開きにしてレコーディングしたはずだ。Aメロの抑えた歌い方は、以降のジョンの唱法におけるバリエーションの一つとして確立されてゆく。ダブリングによって粘っこい音色に仕立て上げられたギターソロも絶品。コードに対して効果的なノートを一音一音紡いでいったに違いない。…いや、何はともあれ肝心のソングライティングこそが最も賞賛されるべきだろう。緩急をここまで自在に操る実力は並大抵のものではないし、「酸いも甘いも散々経験してきた俺達だが、今、最高にポジティヴな状態でカムバックしたぜ!」という彼らのメッセージを(おい笑うなそこ)、歌詞とメロディーが120%見事に表現し切っている。

    ま、一つだけ難癖をつけさせてもらえるなら、クレジットがジョンのみになっているが、こういう意味合いの曲だからこそ、リッチーの名前も入れてほしかった。

    この「I Believe」、前述のVAN HALEN 『FOR UNLAWFUL~』の一曲目「Poundcake」とは、奇しくもベースが16分のルート弾きである点でかぶるせいか、何となく印象が似通う。まぁ確かに、逆境の中を一点突破する意気込みを表すのに相応しい、攻めのリズムといえるかもしれない…。さらに自分の中では、『KEEP~』の「Dry County」と『FOR UNLAWFUL~』の「Right Now」がかぶる。その心は「ベテランロックバンドの感動大作つながり」なのだが、如何。

  • 流通する「笑顔」

    『ほぼ日
    』に、糸井重里主幹による「笑顔」に対する考察が最近アップされていて(『ダーリンコラム』→『<サービスとしての笑顔。>』)、流通の産物としての「笑顔」を描き出している。

    遠藤周作の小説『侍』に、江戸時代初期の東北の寒村に住んでいた人々は、「口数」や「感情を外に出すことが少な」かったことが描写されているが、僕には人間元来そんなもんだと思える。笑顔で歯を見せることを「はしたない」とさえ感じる文化が日本に残っていたのは、そんなに昔のことではない。

    かつて、中国やヨーロッパの宮廷でも、やたらと笑顔を見せないことが高貴の証しだったそうだが、現在の社交界で振舞われる笑顔の総量を想像するに、ゲップが出そうである。昔の貴人の肖像画と、昨今のセレブのポートレートを見較べると、一目瞭然である。そりゃ、「昨今のセレブ」に「貴人」のような階級的裏付けは無いだろうが(後付けの騎士称号程度はあるだろうけど)、実際のところ我々庶民レベルでは殆どその違いを感じていない。誇りある庶民として想像してみて欲しいが、例えば江戸時代において、天皇家や徳川将軍家は、タブーではあったけれども、充分ゴシップネタになっていたそうだ。

    「貴人」→「昨今のセレブ」というベクトルは、「保守的価値観」→「資本主義的価値観」と合一である。つまり、「笑顔」は「流通」されたのだ。

    「笑顔」が好印象を醸し出すという、現在の実際、即ち「現実」は、資本主義による「虚構・神話」である。
    「虚構・神話」が社会を上手に循環させることについて、我々の多くは既に充分自覚的だが、それだけに、「自覚的」ではない振り、「虚構・神話」だと思っていない振りを、どこまでも、止め処も無く行ってしまうことがある。振りをしている人が、振りをさせられている人、振りを勝手に振られている人に、色んなレベルでのダメージを喰らわせていることだってある、ということをこそ、自覚しなければならない。

    いわゆる「大人」かどうかという議論は、本来その先にあるはずだ。なぜなら、相手が、そのことに自覚的であるかどうか、そして、それを引き受けるかどうかの確認が、「大人」には必要だからだ。もちろんこれは、日本で普通に生活する上においてスルーされることが多いし、僕だって仕事の上で出会う人々に対して一々考慮したりしない。ただ、そういった現代的「笑顔」の傲慢さに耐え切れない人たちがいることを想像できるということと、そういう人に出会ったとしたら適切に配慮し対処できるということは、いかに「社会を上手に循環」させるかという視点に立てるのが本来の大人だとすれば、それらが出来るかどうかが「大人」としての条件だと思うから、ただ闇雲に「笑顔」が大事という思想に、ちょっと油を差したくなるのだ。

    ここまで書いてきたことがいかにも己のルサンチマンの発露であるような告白をすると、僕だって、「笑顔」が苦手だ。ミッキー・ロークやシルヴェスター・スタローンのような貌に憧れた結果、唇の片側しか上がらない笑顔になってしまった。そのくせ口角だけやけに上がっているものだから、厭味な笑顔この上ない。

  • おめでとう、ミッキー・ローク!

    中学生の頃だったろうか、ミッキー・ロークに憧れていた。
    『エンゼル・ハート』を観たのがきっかけだ。
    優雅だがどこかRockな物腰や、フランス語を喋るかのようなモニョモニョとした発話(フランス人の血が流れてるらしい)とニヒルな笑みを湛える口元、ベッドシーンでの絡みの上手さなどに(もっともそれがホントに上手いのかどうか分からなかったけど)、「モテる男のイデア」とでも言うべきものを感じていた。

    彼が出演していた、サントリーのウィスキー、『リザーブ』のコマーシャル。
    僕の地元では、『FNNスーパータイム』の合間に、それは流れていた。
    毎日それを観るのが楽しみで、観るたびに「モテ男のイデア」を確認していた。
    そんな中学生だった。

    「猫パンチ」は、大学時代に友人のアパートで観た。
    別にそれで冷めたわけではないけれど、『フランチェスコ』あたりから名前を聞かなくなっていたせいか、既に興味が薄れていたこともあって、大した感慨も無かった。
    ただ、彼が提示してくれた「モテ男のイデア」は、ずっと胸に刻み続けていた。

    言うほどモテなかったけど。

    なんかのテレビで、ガッツ石松だったかが、彼の豪邸を訪れるのを観たのを覚えている。
    相変わらず、モニョモニョ喋っていた。

    ずーっと時は流れ、
    『プレッジ』で彼を見かけた。思わぬところで昔の憧れの人に出会った感覚だったが、目許の雰囲気がかなり違って、違和感を覚えたことも確かだ。

    ネットで色々調べてみると、整形に失敗したんだとか。
    整形する必要などない、完璧なルックスを誇っていたはずなのに。
    もしや、『エンゼル・ハート』当時の貌も、整形によるものだったのだろうかとも疑ったが、だとすると、最初期の『ダイナー』や『ランブル・フィッシュ』の頃も整形顔だったことになるから、それはないだろう。

    『レジェンド・オブ・メキシコ/デスペラード』、『シン・シティ』、『ドミノ』など、話題の映画で活躍していると知る。
    かつてのようなセクシー男優としてではなくて、演技が高く評価されているのだとか。
    『シン・シティ』においては、主役格のブルース・ウィリスを喰ってるとも。これは素直に嬉しかった。
    気色悪くて恐縮だが、元カレが自分と別れた後に一発奮起して大成したのを耳にしたオンナの気分である。

    思えば、売れてた80年代当時、セックス・シンボルとしての役割に埋没してしまってか、演技そのものに注目されたことなど無かったに等しい。
    人脈的にも、マイケル・チミノ、クリストファー・ウォーケン、フェイ・ダナウェイと、なんとなくハリウッドの裏街道を往く人たちと仲が良かったらしくて、メイン・ストリームからは距離を置く、言ってしまえばキワモノ的な存在として扱われていた記憶がある。
    また、ボクシングに対する自己実現の仕方に現れるような、やや肥大化した顕示欲のようなものがあって、それがハリウッドのマネージメント・サイドから相手にされなくなった大きなの理由の一つであったことは確かだろう。

    なんとなく、Rockじゃないか。

    今回のヴェネチアに於ける復活劇は、本当に興奮した。
    ニュースを読み接ぐにつれ、鳥肌が立っていくのを感じていた。
    そりゃ、日本勢が賞取れなかったのは残念だったが、
    だけど、
    まずは、ミッキー・ロークの「演技」そのものに対して最大限の賞賛が贈られたこと、
    そして、
    可愛い共演者をビッチ呼ばわりしたり、
    レッドカーペットでペット連れて葉巻くわえてやりたい放題やったり、
    配慮を欠くコメントをしてヴィム・ヴェンダースにたしなめられたりと、
    よりエスカレートしたRock具合を見せつけてくれたこと、
    そのあたりに、
    今までホント言うと僕自身があまり信じてなかった、
    「ミッキー・ロークの底力」を、
    熱く感じたのだ。

    最後に整形失敗疑惑に関して一言。
    彼の整形は、ボクシングで崩壊したルックスを正常に近づけるためのものだったはずで、己の美形をさらにどうこうしようという安易なナルシズムのためではない。
    そのことを信じるべきかどうかは、この『The Wrestler』という作品が語ってくれるはずだ。

    ついでにもう一つだけ。
    ミッキー・ロークのナルシズムは、モニョモニョ口調の安っぽい色男像とは裏腹に、破滅スレスレの危ういバランスの上に成り立つ、実にピュアな自己顕示欲に依拠するものだ。
    例えば、己のあの変わり果てた相貌をどうして受け入れることが出来たのか、そのことに思いを馳せてみる。

    彼は、破滅に耐えて見せたのだ。

    追記:
    そういえば、それこそ中学生当時だったと思うが、なんかの雑誌で、俳優は女々しい職業だと彼が考えているとあるのを見た。その時は「偉そうなこというなぁ」とか「どうせパフォーマンスだろ」ぐらいに思った程度だったが。
    また、贅沢なことに、自分の昔の顔を、女々しいという理由でコンプレックスに感じていたとの情報もある。
    それらから考え併せると、ボクシングで顔を変形させたというのも、自分の中の色んな意味での女々しい要素を消し去りたいという衝動の結果ではないか。