カテゴリー: 時事

  • 葬式妨害罪

    葬式妨害罪、なるものが存在し、それを犯した男がいる
    らしい。

    パッと聞いた印象だけで言うと、妨害した者が何らかの信教上の理由によってそれを行ったとしたらどうなるのか、という疑問が湧いた。仮に棺を床に落すという行為が葬儀の儀式としてセットされている宗教があって、信者であるその人はその行為を通してより哀悼の意を強くするんだとすれば、それが現場で行われている葬式の様式にそぐわないものだったとしても、責められたものではないんじゃないかと思う。平たく言えば、哀悼の意をどう表現しようと、それは自由だ。実際に葬式のバリエーションなんて実に様々で、死肉を喰らうようなモンだってあるのだから。
    今度はやや冷静に考えると、それはコンセンサスの問題である。信教を別とする親族を持つ場合、お互いの様式について充分な理解が必要だ。

    結婚式妨害罪は存在しないのだろうか、なんて、愚にも付かぬ興味を抱かせる法律ではある。

  • 定額給付金をめぐって政界に感ずるもの

    週刊誌に書いてたけど、小泉元総理が、「給付金、野党の抵抗で止めることになっちゃいました、てなことにすれば、意外と国民は残念がって給付金の価値を実感するようになるから、そうやってから解散すれば良かったのに」なんてことを言ったそうだ。それがホントにそうなるものだったかどうかは分からないけど、稀代の政局師の発想はやっぱり違う。これまでそういう発想が与党内にあったか。あったとしても僕等には伝わって来てないし、少なくとも現状としては事実上給付金の予算は通っちゃったわけだから、無かったといっていい。僕は、小泉の発想力にあらためて瞠目したが、同時に、かつて海千山千の巣窟だったはずの自民党の、現在の政局対応力の低下ぶりに、十数年前の小選挙区制導入による政界の構造変化、地殻変化がやっと表層に現れてきたことを感ずるのである。

  • 次期衆院選における、共産党の値打ち

    渡辺喜美の離党によって、僕にとって大きな不確定要素が出来てしまった政局だが、次期衆院選に関して一つだけ確実にいえることがある。それは、共産党の議席伸張だ。

    弱者救済とか生活保護のイメージは自民党と民主党で言ったら民主党が当然先行していて、平たく言って小沢はそこを争点にしたいわけだが、この手のイメージの老舗中の老舗はやっぱり共産党で、そのアピールは今のところ順調だ。民主党の票を共産党は幾らか喰うだろう。そうなったとき、果たして民主党は「絶対」と言えるほどの多数を獲得できるか。何だかんだ言って民主党は保守政党、ま、保革対立は前時代的構造だけど、未だ「反共」は「有効」だし、その構えだから、いざとなったら共産党と連立するなどという選択肢は彼らの中にはないだろう。しかし、そうせざる得ない開票結果にならないとも限らないのが現状ではないか。それほどまでに世の閉塞感は強い。

    日本共産党は決してスターリニズムやマオイズムを日本でぶり返そうとしている党ではないことは良く分かった。では、与党の一角を担わせることに我々は抵抗感が無いかといえば、これはちょっと、いや、かなり、ある。…というのが一般的な見識だと思う。
    そこで、仮に民主党が共産党の力を借りねば政権を取れないという状況になったとき、民主党はどう出るのか。どうとも出られるように何らかの布石を打っておく必要もある気がしないでもない。打つとすれば、それは具体的には、有権者に共産党をどう「説明」とか「紹介」するか、といった、テクニックの問題になる。よもや小沢とて、ピュアに「反共」を唱える気もあるまい。マキャベリズムに邁進すればよろしいのである。

  • 『ほぼ日』絡みで2題

    数日前になるが、去年の秋に『ほぼ日』主催で行われた吉本隆明の講演の様子を、NHKでやってた。
    僕は、親の世代、即ち団塊の世代の文化や思想について興味があるから、当然の如く吉本は気になる存在であり続け、かつては『共同幻想論』だの『心的現象論概説』だの読んでみたこともある。いずれも半ばで挫折したのだが。80年代以降の対談などの軽めの著作は割りと読んだ。ネオアカ・ブームの煽りもあって、思想がポップなカタチで人口に膾炙しつつあってからのものだから、吉本のハードな部分は殆どイメージとしてしか知らないまま今に至っていたわけだ。
    あの独特の語るサマ、宙に手をかざして虚空を見つめながら、「あの、その、つまり…」と、たどたどしく言葉を紡いでゆく様子は、初めて観たが、舞台装置も相まってか、神懸かって見えた。
    ああ、これがあの吉本か、と、大いに感慨深かったが、しかし、「あの、その、つまり…」が随分聞き苦しくて、ちょっと辟易したのも事実だ。
    その部分において、僕の文も斯くや、か。

    年初のタモリ対談が終わった。2006年からのスタートだそうだから、今年で4年目だが、開始当初は歴史論や天皇論なんぞも出てきてタモリとしては己のインテリジェンスの(それでも控えめな)発露の場にでもしようとしてるのかもとも思ったものだが、年を追うにつれ、ごくごく普通のタモリになってきてる。それはそれで残念ではあるが、それでこそタモリだと思えるから、タモリは偉大だ。

  • 渡辺喜美の政界再編

    やっぱダメかな、麻生政権。
    別に応援してたわけじゃないけど、政局ウォッチャーとしては小沢民主党とのがっぷり四つを見たかったのに、これでは台無しである。

    それはともかく、渡辺喜美や中川秀直あたりを中心に政界再編の動きがあるらしく、その実現性もあながち無視できないレベルまで来ていると思う。小泉純一郎あたりが糸を引いてるか。
    渡辺喜美は、親父から引き継いだ血が騒ぐのだろう。これは一世一代の桧舞台だ、大いに引っ掻き回してやる、ぐらいに思ってるかもしれない。親父譲りのキャラと行動力と胆力はありそうだから、興味深い政局を演出してくれるだろう。

    正直先週ぐらいまでは、任期満了で総選挙、自民・民主どちらが政権を獲ったとしても、政権基盤が余りに不安定で(国民新党あたりにキャスティングボードを握られる程度の差しかない)、そこから政界再編話が持ち上がる…、みたいなシナリオを予測していたため、今回の政界再編の動きは予想外だった。
    政界、一寸先は闇、とは、あらためて、よく言ったものである。

  • 戦略的失言

    麻生総理の在任期間、ひょっとすればひょっとして、そこそこ稼ぐんじゃないか、少なくとも前とその前の総理みたいにはならないんじゃないか、と思っていたが、ここ最近の流れを見るにつけ、どうもひょっとしない感じがしないでもない。
    その理由の殆どは、もちろん失言である。
    こればっかりは小沢の言うとおりで、総理としての身持ちではない、というか、そう攻撃されてしまうことを読めないところが総理としてマズい。何もマスコミがよってたかって言われなきイジメをしてるわけではない。単にワキが甘いのである。

    右派的なポーズをとる総理は、得てして失言が多い。彼らは、今の日本を覆っているのは戦後の左派的な言説がもたらすルサンチマンである、と考えるから、そんな世間に対して物申さねばならぬ、彼我の差はちょっとやそっとでは埋めきれぬ、だからこの世の中において過激と思われる発言も厭わず、正々堂々と「失言」する。してなんぼだ。そう思っている。

    さて、僕が近年の「大総理」と思うのは、中曽根と小泉の二名である。右派としての矜持をより強く持っていたのは中曽根だから、彼を例にとると、知的水準発言や日本不沈空母論や、色々とあったけれど、少なくとも「医師は社会的常識が欠落」とか、「たらたら飲んで、食べて」とか、そんな、矛先が直裁に内に向くような「失言」はない。
    総じて言うと、「大総理」に比して、「ちっちぇーなぁ…」みたいな「失言」ばかりなのである。
    ある意味ライバルの小泉と較べても、「感動した!」とかいう陽性の発露に乏しい。

    ハナシは戻るが、右派的なポーズをとる総理は、得てしてパフォーマンスがお好きである。正々堂々と「失言」してなんぼなら、その「失言」こそが戦略の一環であるはずだ。
    麻生にはそれがない。仮に本人の中にあるんだとしても、パフォーマーとしての資質が残念ながら及ばないのか、「失言」のネタがセコい。

  • 裁判員制度を勘繰る

    正直不勉強でよく分からないんだが、いよいよ施行に向けて本格的に動き出した感のある例の裁判員制度、ありゃ悪法だろ。裁きは法でもってやるもんだから、それを体現するのは法のプロなはずである。法の世界なんて、あんまり複雑に入り組んでるものだが、結果としてそうなったんじゃなくて、そもそも入り組まざる得ないものである。だからこそ裁判官という専門職中の専門職が存在するわけだし、司法試験はやたらと難しいわけなのだ。素人無用であるべきの最たるフィールドと言っていい。そんな世界において、無作為抽出された素人に責任の片棒担がせようなんてのは、そりゃおかしいに決まってる。裁判官らが己の責任を分散→軽減→回避しようとしてるとしか思えない。裁判員制度のお題目として一番大きいのが、裁判とは果たして如何なるものかを一般庶民に啓蒙する、みたいのだそうだが、そりゃ大いに結構だし、僕も啓蒙されたいし勉強もしたいけど、その手段がこれじゃあ、啓蒙以前にコトに携わらねばならんという、本末転倒というか何というか、とにかくワケが分かんない状態にしかならんだろ。

    ま、ここまでは広く一般に言われていることであって、僕があらためて書くまでも無いだろう。実のところ、僕のこの問題における関心は、その成立過程にある。

    当然この裁判員制度なるものは、かつてのある時点(2004年5月だそうだ)に立法され、公布されたわけだが、その過程を我々一般国民は良く知らない。知らされていない。僕はこのブログで政治をネタにした記事をいくつも書いてるけど、恥ずかしながら法が成立する様式を良く知ってるわけでも何でもなく、ただひたすらアマチュアの政局ウォッチャーなだけである。と、卑怯にも免罪符を掲げつつ問うが、成立までの段階で、それに反対した政党があったんだろうか。あったんなら、今こそそのことを声高に訴えて何ぼだと思うのだが、そんな気配はどの政党からも見えてこない。あの時反対の機運がいささかでも起こっていれば、この悪法は葬られてたかもしれないのに、それこそ遺憾である。
    メディアも今になってあーだこうだ言うんじゃなくて、事前にしっかり監視し、我々に周知せしめるべきだったはずだ。
    なんか、ちょっと前の「ホワイトカラーエグゼンプション」騒動もそうだが、衆院解散して国民の審判を仰ぐとかしても良さそうな法案が、スルっと通りそうになったり、通ってしまったりするのが怖い。

    こりゃこっそり通さねばならんウラの事情があるんじゃないかと勘繰ってしまう。いや、そうに違いない。

  • 「自然状態」教

    またまたやや古い話で恐縮である。
    金融サミットの話だ。
    「神の見えざる手」に対する米国と欧州のスタンスの違いが、ここまで明白になったのが興味深かった。
    欧州にしてみれば、どうして米国の連中が「神の見えざる手」というただのキャッチフレーズをそれこそ神格化してしまうのか分からないに違いない。

    「万人の万人に対する闘争」と表現される「自然状態」なる概念がフィクションであることは明らかだが、いわゆる新保守の連中は、フィクションであっては彼らの言説に説得力がなくなってしまうので、それはリアルなんだという幻想を僕等に植え付けるのに躍起である。つまり、彼らは彼ら自身のロジックのために「自然状態」を要請する。「自然状態」という架空が彼らの存立基盤である。

    「自然状態」を司るのは、「神の見えざる手」の「神」と同一である。この「自然状態」神は、決してエコロジーの守護神なんかではもちろんなく、人間どもが互いに潰しあってるサマを見て喜んでる神だ。

    「自由」は「自然」か、なんてデリケートな議論は出来ないし、二度の大戦の勝利を経て「自然状態」神のご利益をすっかり盲信するに至った現在の米国は、その布教に余念がない。「自然状態」を「発明」した、いわば本家のEUは、その架空性を分かりすぎるほど分かっている程度のデリカシーぐらいは持ち合わせているから、米国の布教活動に対しては随分迷惑している。「自然状態」教のイエズス会とも言うべきマイクロソフトを容れることに最大限抵抗したのは、当然といえば当然だ。

    これは意外と根深い宗教戦争になるかもしれない。

  • (今更ながら)田母神元空幕長のヒロイズム

    慣れない海外出張が一週間続き、時差ボケ激しく、しばらく更新をサボってたものだから、今さら田母神元空幕長について書く。

    こういうのを「過激分子」と言うのだろう。あなたの会社にもいるでしょう、会社に対する不平不満を糾合してヒロイックに振舞うんだけれど、世間知らずの若いのを中心に一定の支持を取り付けてるもんだから、会社も切るに切れない次課長クラス。経営なんてキレイキレイにやれるもんじゃない。不平不満を社員に強いらねばならぬ如何ともし難い情勢は、常に付きまとうもんである。それを呑ませてこその次課長だし、呑んでこその社員だ。呑ませられない、呑めないんなら、何もヒロイックに振舞ったり、それに心酔してる場合じゃない。何が会社をそうさせてるのか真剣に考え、得てしてそれは純利益が足りんという話だから、自分自身が純利益を産めるよう営業努力をすればいい。いや、コトはそんなに単純じゃない、なんぼ営業努力したってダメな体質が会社にある、というなら、立つ鳥後を濁さぬよう、辞表を提出するまでのことである。

    以上は、例えば法を犯して何ぼのほんとーにしょーもない会社の場合は当てはまらないし、ましてや労使問題を軽々に扱うものでも決してない。そうじゃなくって、「やるべきことをやらずに」いい格好をし、己のヒロイズムにすっかり酔ってしまってる連中の話である。彼らは、「やるべきじゃないことをやってしまっている」ことに気付かないものだ。

    空幕長としての田母神氏の「やるべきこと」は、自衛隊のアンビバレント性を、部下にきっちり伝えることだった。それでいて軍(と言ってはいけないんだろうが)としての士気を高めることとの矛盾があって、その両立は非常に難しいんだろうとは想像できる。いや、確かにキツいはずだ。が、かといって、開き直ってしまうのはどうか。結果、「やるべきじゃないことをやってしまっ」たということに、彼は思い至らなかったらしい。

    僕はいわゆる「サヨク」だが、田母神氏のやってしまった「やるべきじゃないこと」の内容に踏み込む気は、今はない。日本は植民地の地元住民に悪いことしてない論についてあーだこうだ言わなくたって、それ以前に田母神氏が「やってしまっている」ことの重大性を指摘するだけで事足りる。それはつまり、軍ないし自衛隊、即ち国家に所属すべき強大な暴力装置が、主(あるじ)たる国家の意思から離脱することは、「過激分子」たらんとすることに他ならない、ということだ。

    かつての関東軍の高官参謀どもは、己が「過激分子」たることに酔い、大権を侵し、国を滅ぼした。田母神氏のヒロイズムに同じものを感ずるのは、僕だけではあるまい。

    ああそうか、今の日本は「ほんとーにしょーもない」国家だっていうんだろ。まともな自衛権さえまともに存立できない国家って、一体何なのよ、と。だけど僕なんかが思うのは、そもそも「国家」なる概念は、この極東の長い歴史を鑑みて、どうも欧米から捻じ込まれた概念なんだと思う。無理っくり捻じ込まれたもんだから、捻りカスがボロボロ出てきちゃって、今やもうどう仕様もなくなってるんじゃないかと。「ウヨク」諸兄に、何となくでいいからその辺ご賛同いただけるのなら、じゃあ、そっから先どうだったんだ、という話も、ここから先どうします、という話も、彼らといくらか噛み合えるかもしれない。

    だから、「愛国」バカの「過激分子」的ヒロイズムだけはご勘弁いただきたい。そんなもんは、「愛国」ヅラした底の浅い「非国民」に他ならないから。

    田母神氏に孤高のモノノフを感ずる向きもあるかもしれない。しかし、モノノフが武士たる所以は、「奉公」であり、それは即ち、「職分を全うする」ということに他ならない。本来地味なもんで、お気楽なヒロイズムとは程遠いから尊いのである。少なくとも、「生活キツいんで退職金もらいます」みたいなこと言う前に、自分の主張の是非はともかくお上に迷惑かけたことは確かなんで腹切ります、ぐらいのものだ。苟も自衛官たる身が奉るべきは公であり、私のイデオロギーではないのである。

  • 民主党の焦り

    この度の党首会談、窺えるのは民主党の焦りだ。
    僕は麻生総理は当面衆院解散する気はないと見て、麻生や細田幹事長の選対本部設立騒動などは陽動作戦だと穿った
    が、そうであったとするなら、随分と効果覿面だったんじゃないだろうか。
    麻生はなかなかやる。前総理や前々総理などとは役者が違う。佐藤栄作は解散をちらつかせる状態をある程度維持することで野党を精神的にも資金的にも疲弊させ、頃合を見計らって「伝家の宝刀」を抜き放つ、という戦法を常としたらしい。もちろんその疲弊は与党にも及ぶのだが、それだけに、「肉を斬らせて骨を断つ」というわけだ。麻生がこれに学んだかどうかは知らないが、結果として民主党は随分と疲弊した。
    小沢はすっかり頭に血がのぼってしまったに違いない。こういうときの小沢は、何か良く分からない行動に出ることもしばしばだけれど、今回の何か良く分からなさは際立っている。会談では殆ど小沢一人で喋りまくってたらしいが、麻生は面食らいつつも、心理的な形勢が逆転しつつある手応えを感じて、内心ほくそ笑んでたはずだ。