『その時 歴史が動いた』の最終回にて思う

posted on 2009年3月18日 in 時事

NHKの『その時 歴史が動いた』の最終回、総集編を観た。

松平定知の最期のコメントにもあったように、歴史とは解釈されるものであって、次々と新しい解釈が歴史に対して産まれ出で、ブランニューされるものだ、それを視聴者に提供するのが番組の役目であった、という動的なスタンスは、いたってマジメで、NHKの(今や残念ながらその経営陣の汚名によって潰されかけている)良心の表れと言えよう。動的であることによって硬直したイデオロギッシュな解釈から免れるという意味もあったろう。

感じたのは、テレビ番組というのは製作陣の思想の表現だ、ということだ。もちろん画面に現れてくるものだけで勝負せざるを得ないのだが、その二次元の画面がいくら華やかだったとしても、そこに制作陣の思想が奥行きとなって感ぜられないことには、それはやっぱり番組としての格が低いということになる。
いきなりジャンルは飛ぶが、タモリの『笑っていいとも!』は、制作陣がタモリの持つグダグダ感の魅力を思想として感ぜられているから成り立っている。あれをつまんないとか言うのは、番組の思想に対する理解の低さの証左である。

とにかく、制作会議の様子が透けて見えるような番組のあり方は、実は当たり前であるべきで、というか、そこでの議論の表出こそが番組なんであって、僕ら視聴者はそこをこそ観るべきなのかもしれない。

そんなことを思った。