麻生総理の消費税引き上げ明言

posted on 2008年10月31日 in 時事

麻生総理が3年後の消費税引き上げを明言 したとのこと。ただし、「経済状況を見た上で」というフレーズが冠にあるから、留保の可能性も示唆したものと思われる。

麻生としては、実はこの内閣は全然選挙管理内閣なんかじゃなくて、紛うことなき本格政権のつもりで組閣したはずだ。盟友の中川昭一を財務大臣と金融担当大臣という、ただでさえ、且つ、今こそ重要な2ポストを兼務させた一事でそのことは知れる。本格政権の責任として、選挙の際の鬼門中の鬼門である消費税引き上げをあえて明言する姿勢は、全く正しい。
もっとも、いずれにせよ来年9月までには総選挙があるから、何事も選挙を意識した上での行動であるに違いない。この発言も、竹下内閣以来(さらに言えば大平内閣か)連綿と続く消費税問答を経て、いい加減有権者の間にある消費税に対する安直な抵抗感は薄れてきた(僕だってそんな有権者の一人だが)という認識があって、こう発言したところで選挙にマイナスに作用しないだろう、むしろ、「麻生、よく言った」的な支持すら得られるかも、という計算もあるかもしれない。今のところ民主党は消費税論議を避けている風だから、尚更である。

次期解散は、「消費税解散」になるかもしれない。このご時世、どうやって国の歳出を減らすかは重要な議論だけど、片一方の歳入の増やし方についても関心を持つ人達だって相当数いるはずなわけで、その点これまで歳出の方(つまり、歳出減と歳出項目のバランス見直し)を重点化してきた小沢民主党代表は、歳入論議に一歩遅れをとる形になってしまったことは否めない。そりゃ小沢としては、増税論議を吹っ掛けて死に体になってしまった政権を散々見てきてるから、無理からぬことではあるだろうが。麻生が、有権者の間では増税論議はやや成熟してきた段階にあると見て、そこを突いてくる可能性は、充分にある。

分からないのは、この内閣が麻生なりの本格政権だとして与謝野馨が経済財政担当相として入閣していることと、やっぱり、消費税引き上げを言うならここしばらくのばら撒き政策は何だったの、ということだ。実は両者は密接に絡んでいて、つまり、麻生は短期的な景気対策だけでは選挙は勝てないことがハナから分かってたから、いずれプライマリーバランス正常化のための政策を打ち出さなければならない、そのためにも与謝野は必要だし、増税も必要だ、ということと結論したいが、如何。

続・モンスターペアレントに捧げる

posted on 2008年10月30日 in 時事

妊婦死亡問題 誰も責めない夫の会見に感銘する声
 東京都内で8つの医療機関から救急搬送を断られた妊婦(36)が3日後に脳内出血で死亡したことを受け、……….≪続きを読む≫

先日、千葉県の小学生が学校でパンを早食いして窒息死、その父親のコメントに感銘を受けた旨書いた が、こちらの夫のコメントも、その拠って立つところは同じである。
詮方ない環境・状況、しかし明らかに人災なのだが、それによって家族が亡き者にされたときの振る舞いについて、その人の覚悟や思惟の深さが現れやすいものなのかもしれない。

体内時計

posted on 2008年10月29日 in 雑感

今朝の話である。
夢、というか、まどろみの中で、「ブーン、ブーン」と、携帯電話の厭のバイブ音が鳴った(僕はこの音が苦手だ)。
徐々に覚醒していくと共に、「昨晩マナーモード解除し忘れたか」(いつも目覚まし用に携帯アラームを使っている)、「けど今日は休みだよな」、「もしかして隣の部屋か」などと考えた、というか、夢想したが、いざきちんと起きて携帯を確認してみると、何事もなかったかのように大人しくしている。もちろん、となりの部屋の携帯のバイブ音が聞こえるなどということは、ちょっと考えづらい。

携帯を開いて時間を確認すると、6時ピッタリだった。
これは僕の体内時計が無意識に作用した結果現れた幻聴だったのか。シンクロニシティ、といえば違うんだろうけど、不思議な体験だ。

数年前に別のアパートに済んでいた時は、目覚ましとしてオーディオコンポのアラーム機能を使っていた。時間になったら爆音で音楽が鳴り出すのである。僕は寝起きが悪いので、爆音そのもの衝撃と、即座かつ機敏に電源を消すという運動によって(さもなくば近所迷惑も甚だしい。いや、確かに一瞬でも爆音が鳴ること自体大いに迷惑なのだが)、自らの覚醒を確実ならしめようとしたのだ。
しばらく続けたところ、体内時計がセットされたのか、時間のほんの一分ほど前に勝手に目覚めるようになってしまった。「唐突」な爆音の衝撃が「予定」されている、ということは、精神衛生上余り良くないのかもしれないけど、寝坊防止に大いに役立ったことは確かである。

橋下府知事のカタルシス

posted on 2008年10月28日 in 時事

橋下徹の、教育問題での討論会の様子 をニュース番組で観た。

多分橋下府知事は、本当は教育問題そのものより日教組潰しの方にご執心だ。今どきの愛国者は日教組を徹底的にやり込めることにカタルシスを覚えるらしい。それをやればやるほど、彼らの内ではステータスにすらなる風だ。日教組に問題がないわけじゃないんだろうなぁ、ぐらいがせいぜいの僕の認識なのだけど、ああいったやり口は、子供染みた「今どきの愛国者」による「いじめ」にしか映らない。日教組こそがそもそも子供染みてると仮定して、だからこその対応だとしても、繰り返すけど、「今どきの愛国者」が中山成彬のような手段 を肯定する以上、何らマトモな思想に裏打ちされたやり口とは思えない。少なくとも、これは教育問題であるだけに、子供染みたサマを子供に曝けるのは控えるべきだ。

控えた方が勝てる。そのことに思い至れないのであれば、保守思想が本来包含する、プラグマティズムや、プラグマティックだからこその漸進主義にもとる。実はヒトラーは国家社会主義という名の左翼だったから失敗したのだ、だから左翼はいかん、と彼らは言う。だから日本の戦前の国家主義者には手を付け辛いのかもしれないのだろう。だけど、彼らのアジテーションを見るに付け聴くに付け、全く持って同じ穴のムジナである。右に伸びた触手と左に伸びた触手があるとして、それらは円を描いて手を結ぶ。「急進的右翼」と「急進的左翼」に関して、今で言えば、例えば中東や中南米のそれを思い浮かべて貰いたい。

ここで言いたいのは、まずは手法の問題である。たかが手法だが、その手法が中山のようなものだとするなら、一体どの程度の愛国なのよと思わざる得ない。橋下だってそうだ。あんなアジりは自分の子供に見せられない。「今どきの愛国者」の自己満足に過ぎないからだ。僕自身は、平和をベタに愛し、中韓に腰は低く、朝日新聞をよく読み、両親は全共闘世代、つまりは彼らの言う「サヨク」なのだが、そんな僕でも、「僕は保守主義者です」と宣言するべきじゃないかと思っている。「今どきの愛国者」に、何を保守させられようか。

いきなり芸能話で恐縮だが、橋下とビジネス上の繋がりのある爆笑問題の太田光がどう思ってるのか、ちょっと気になる。次回か次々回あたりの「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」でその辺取り上げるかどうか。

タモリ、そして、「ブラ」と「チャレンジ」の狭間

posted on 2008年10月27日 in 芸能

NHKで、久々にタモリの番組を組むらしい。その名も「ブラタモリ 」。

「エチカの鏡~ココロにキクTV~」に続き、新たなタモリのチャレンジが観られるのは、一ファンとして嬉しいことだ。ま、タモリのことだから、「チャレンジ」などという意味合いはないんだろうけど。
巷間にはタモリという人はそういう人だと伝わるが、反面、彼と仕事で関わる人を中心に、「タモリはサラリーマンの心を持っている。『笑っていいとも!』を毎日毎日こなせるのは、その心があるからに違いない」説もあって、そうだとしたら、意外とこれは仕事人としての「チャレンジ」である可能性はある。あるのだが、それを隠して「チャレンジ」と見せないのではなくて(ビートたけしは「チャレンジ」を照れ隠してしまうキャラを演じている)、ちょっと上手く言えないけど、無心でもってそれをやってるんだろうから、結果として、それは何の覚悟もない「チャレンジ」なんだろう。それが果たして「チャレンジ」かというと、やっぱり「チャレンジ」ではない、という気がする。いや、けど、僕もNHKにほんのちょっとだけ出演したことがあるけど(しかもローカルだ)、せいぜいウン十秒のシーンに厭になるほど結構な打ち合わせを重ねた。「NHKでは珍しく、セリフを決めずに全編アドリブで収録する試みに挑んだ」とあるが、それは主体としてはNHKの「挑み」=「チャレンジ」だけど、あのNHKにそんな「挑み」をさせてしまうことに対する「気負い」、即ち「チャレンジ」は、タモリの側にはないんだろうか。属性が「サラリーマン」なら、確実にそれはある。あらざるを得ない。
どうでもいいことをだらだらと書き連ねてしまった。普通に考えると、タモリが覚悟を伴った「チャレンジ」などする筈がない、という結論になることは重々理解している。だけど、この人は本当は一体どう考えているんだろう、と、あれこれ考えさせてしまうところに、タモリという存在の凄みがある。

番組名に心が躍る。
この、「ブラ」と「チャレンジ」の狭間で、一体どう振舞ってくれるのか。放送日には、出来るだけいい酒を用意しておくことにしよう。

モンスターペアレントに捧げる

posted on 2008年10月26日 in 時事

千葉県の小学校で、級友に煽られてパンの早食いをした子が窒息死した事件が起きた。
当初、その小学校の校長だったかから早食いは無かったとの説明があり、死亡した児童の父親が憤慨するところをテレビで見たが、その後、学校側からそのような状況があったとの訂正と謝罪があって、その父親は、「学校側はできることはすべてやってくれたと思うし、これ以上追及するつもりはない。真実を知ることができ、心の区切りがついた。誰かに責任があるわけではない 」と言ったそうだ。

いわゆるモンスターペアレント問題がクローズアップされている最中、いや、そうでなくとも、寄る辺のない怒りを自分よりほんのちょっと社会的権威が高い組織なり個人なりにしつこく向け続ける習性が我々の中に抜き難く存在する中で、清清しいといっては不遜に過ぎるし、何と表現したものか本当に分からないのだけれど、とにかくその言葉には、涙が出るほど感銘を受けた。
子が死んだ。殺したのは誰かは、冷静に考えて、特定できない。犯人は、ひたすら「環境」であり「状況」だからだ。「環境」「状況」の中に、それが悪意であると確信できるような悪意はない。そんなとき、とりあえず矛を収めて、何をどうするべきかを沈思しえるかどうか。関係の糸が一人の人間では到底把握し得ないほどに複雑に絡まっていることが「実は」自明の現代において、そうすることが己の矜持を保つ唯一の完全な方法かもしれない。

やや話は逸れる。僕は復讐権なるものは生得権ではないとの立場だが、仮に、その沈思の結果が過激で暴力的なものだったとしても、関係の糸が絶望的なほど複雑に絡まっている場合、抗い様もないこともある。イスラエル周辺の問題は、まさにそれだ。「環境」や「状況」が「歴史」を盾にとってるから、どこまでも「沈思」は沈む。だから、一人の人間として答える術はなく、彼らは「環境」や「状況」に再帰せざるを得ないのだ。

「心の区切りがついた」と、この父親は言った。本当はついているはずもない。三人の子の親として、それは断定できる。だけど、敢えてその言葉を発して、自ら憎悪の糸を断ち切ったこの父親に、最大限の敬意を表したい。
一人の父親として。

『自民党 政権党の38年』 北岡伸一著

posted on 2008年10月25日 in

自民党―政権党の38年 (中公文庫 き 34-1)/北岡 伸一
¥980
Amazon.co.jp


今まで大下英治の一連の政治家列伝にお世話になってきた。列伝だけあって、現象は登場人物たちの意思と行為の結果として捕らえられがちなのだが、そろそろ別のアプローチの現代日本政治史本を読みたいと思い、この本を買った。
細川政権が誕生して五五年体制が一旦途切れるまでの自民党史を、日本における政党の誕生から説き起こしており、学者が書いただけに、人物のパーソナリティよりは構造を解き明かすことを主たる意図としている。
ただ、章を追うごとにその意図がどんどんぼやけてきて、しまいには大下英治と何ら変わらないノリになってしまったのが残念。
巻末の付録に、「戦後衆議院議席」、「自民党四役・閣僚一覧」、「自民党派閥の系譜と消長」といった資料があり、僕なんかは眺めてるだけでも心が躍る。これだけでも買った価値はあった。

~覚えておくこと~
・選挙法の改定のたびに有権者が増え、それに伴い藩閥による選挙干渉が効果を挙げていった。何故なら、高額納税者ほど「裕福で、意識が高く、簡単に誘惑や脅しに屈しなかったから」。
・戦前、陸軍機密費が政治家に資金供給されていた。「これでは、政党は軍には到底太刀打ちできなかったであろう」。
・1947年の衆院選で片山哲の社会党が第一党となった。自由党と民主党で二位三位連立を組むこともできたが、吉田茂は憲政の常道に反するとしてこれを退けた。「戦前の政党が無原則な権力追及を行って、政党政治の基礎を掘り崩してしまったことを、吉田はよく知っていた」。
・1951年ごろの保守勢力は三者。自由党吉田派(緒方竹虎含む)、自由党鳩山派(三木武吉、河野一郎、大野伴睦、石橋湛山ら)、改進党(重光葵、松村謙三ら)。自由党鳩山派と改進党は54年に一旦日本民主党(岸信介含む)となり、保守合同へ至る。この辺の経緯は複雑なので、最勉強の必要も。
・吉田と鳩山の対立軸は、吉田が軽武装・対米協調なのに対し、鳩山は再軍備・対米自主。岸と石橋は鳩山シンパだが、吉田と鳩山が去ると、岸が再軍備・対米協調、石橋が軽武装・対米自主となり、対立軸を打ち出した。

庶民感覚

posted on 2008年10月24日 in 時事

麻生総理が、「庶民感覚」とはかけ離れたホテルなどのクラブで夜な夜な会合を繰り広げているとパッシングを受けているが、そりゃルサンチマンでしかない。

このご時世なのに、という気分も分からなくもないが、かといってジョッキ一杯450円の居酒屋で会合してます、なんてのも、それはそれで充分パフォーマンス臭プンプンだろう。
そりゃ、セレブ中のセレブたる総理総裁としての付き合いもあるだろうし、そういう付き合いを否定してしまっては、廻るものも廻らない局面だってある。セレブ的振る舞いを断つことを仕事に繰り入れるべきとの考えもあろうが、その程度のことに気を遣うよりは、より具体的な政策に気を遣って欲しいもんだ。実際遣ってるからクラブ飲みなんだろうけど。そもそも政治家にそんな下卑たパフォーマンスを期待するべきじゃない。

飲む場の「質」はともかくとして、「量」が多すぎる、との声もある。いいじゃないか。そういう「グレート・コミュニケーター」なのかもしれないし。余計なお世話だ。

とにかく、その程度のルサンチマンを振りまくマスコミのあり方が疑問だし、そのマスコミに「これは振りまく価値がある」と思わせてしまっている我々有権者のレベルも低い。政治家と、官僚とか財界とか利権組織とかの癒着は散々言われてきたけれど、マスコミと有権者の癒着ほど意識されていない、或いは意識したくないものはないのだ。政治に対するマスコミの役割を否定するわけでは全く無いが、マスコミだって充分商売なんだってことを、僕らはしっかりと認識する必要がある。

あなたが営業マンなんだったら良く分かるでしょ。話法だとかツールだとか、言ってみれば顧客に思考させないための要素だ。あなたが、その研鑽に余念がないこと、そういった営業努力によって顧客の思考能力を奪うことに、僕は何の疑念も抱かない。逆にそれに躊躇するような営業マンは、この商売至上/自由経済主義の世において、不正義でさえある。
で、マスコミの顧客は有権者だ。そこまではいいけど、その結果として、マスコミの顧客たる有権者がバカになってしまうことは、民主主義という数の暴力に支配されている僕にとって、それは非常に迷惑だ。僕やあなたがその辺のガキンチョや若者や主婦やおばちゃんや後期高齢者の思考力を鈍らせて幾らか会社に貢献したとしても、その他大勢には殆ど影響が無い。だが、民主主義が敷衍する我が国の政治は別だ。マスコミによってバカに仕立て上げられた有権者の量だけ、日本は傷を負う。

顧客が有権者である、ということに関しては、政治家だってそうであることに変わりはない。

表現として、敢えて過激に書いてしまった。僕も広義の営業マンで、そういった業を背負っている。もちろん日常においては顧客の幸せにいかに僕等が貢献できるかを考えているが、上のような書き方も出来るという事実を厭ってはならないと思うから、そう書いた。青臭いと言えばそうだろう。だけど、ここでは商売至上主義の功罪が問題だ。マスコミは、その性格上、国有であってはならないし、つまりは民として商売の原理をどこまでも引き受けるしかないし、かといって、公としての在り方をあきらめてはならない。もっとも、国は公だが、公の全てが国であるはずは無い。その辺のバランスを取らせるのは、つとに我々の務めだし、そのために我々は、バカであってはならないのである。

「庶民感覚」という居心地のよい場所に安住することが危険なのだ。例えば旧社会党の失敗の原因はそれだ。彼らは「庶民感覚」に加えて「革新」を標榜していたが、「庶民感覚」とは元来「守旧」的なるものであって、「革新」とは、まず己の日常の姿が変わってしまうことを引き受ける態度をこそ、基盤とせねばなるまい。「庶民感覚」と「革新」は、共存し難いはずなのだ。
いまは、どう「革新」するかが問われている時代だけど、だからこそ、マスコミによる商売至上主義の産物である「庶民感覚」の引力から離れて、いかに自らを投企するか、そこが僕等に問われている。

久米宏の新番組と、相変わらず必死な僕

posted on 2008年10月23日 in 芸能

久米宏のテレビってヤツは!? 」の初回を観た。
これがなかなかツボだった。番組の雰囲気、キャスティング、内容、どれを取っても文句は無い。久米はブランクを雌伏としたか、例の強引な司会っぷりが益々心地よい。八木亜希子は絶妙な人選である。彼女ならではの親和力が、久米の無理をやわらげている。ここ暫くは八木亜希子といえばクリスマスだったが、この番組によってそのイメージが軽減されることを切に願う。願う義理も無いが。

番組内で、上杉隆が、麻生のハラは政権維持だから(勝てる見込みのない)年内の衆院解散はない、と言ってた。全くその通りで、僕は今月のアタマからそう読んでる。くどいけど、ウソじゃない。実は、てっきりそのことをこのブログで書いてたと思い込んでいたが、見返してみたところ、明言はしていなかった。大いに悔やまれる。今月1日に、酒の席で僕の上司にその話をしたので、ウソだと思うならその上司に聞いてくれ。…あぁ、僕は必死だ。今後はナルハヤで僕の政局予測を書くことにする。
上杉氏は、「喋ると当たらないんですが…」みたいに言ってもいたけれど、これも全くその通り だ。

C言語事始

posted on 2008年10月22日 in PC

今さらながら、いわゆるC言語なるものに挑戦し始めた。
僕はDelphiユーザー、いわゆるデルフィアン、さらにいえばDel厨なのだが、例えばアルゴリズムの解説本なんかの類はCで書かれていることが多いし、何より業界の常識ともいえる言語だから知らないのも難だということで、渋々始めてみた次第である。もっとも、現在はWebアプリケーションの需要の方が多いだろうから、実際に今でもCが業界の常識、プロのプログラマがマスターしておかねばならない言語として君臨しているかどうかは、プロじゃない僕は知らない。

参考書の最初のほうを読んでみての感想だが、トークン名において大文字と小文字を区別するのはちょっと苦労しそうだ。単純に、覚えるべきトークン名の可能性が倍になる。僕の好みでいうと、コンパイラは区別をしない、不整合があったらIDEが定義に従って勝手に修正してくれる、といのが理想である。

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