「ハートカクテル」考 ~ vol.015 さよならホワイトレディ

posted on 2011年8月31日 in 「ハートカクテル」考

この稿を書くに当たって当回を読み返して、やっとオチの意味が分かった小生である。「ホワイトチョコレット」を上空から見下ろした雪の街に見立てた、というわけ。
つくづく己の察しの悪さに呆れてしまう。

「ハートカクテル」に登場する男女は、止むを得ず別れて暮らさねばならない事情が生じた場合、何故か遠距離恋愛という選択をすることはなく、淡白にも、その恋にピリオドを打つケースがほとんどである。わたせせいぞう氏は、のちに「八重と次郎」という、京都と仙台(及び札幌)に別れて暮らす男女の愛を綴った作品を発表するが、その割には、だ。
当回は、そんな淡白な男女を描いた、シリーズ最初の回となる。

「ボクの心の中の7人の小人達」なる妖しげなフレーズが飛び出すが、このフレーズを実際に用いた男が、小生の知り合いに、一人いる。


「ハートカクテル」考 ~ vol.014 彼女のこと – タバコ

posted on 2011年8月30日 in 「ハートカクテル」考

へぇ、カルティエからタバコ出してたんだ。

タバコに対するイメージ自体が随分変わってしまったワケで、勝手なものだが、もはやタバコ吸う女性に対しては、「息、タバコくさいんだろうな」とか、「老けるの早そう」とか、とにかくネガティヴな想像しか浮かばない。つまりは、その女性の女性としての魅力を著しく減じる要素でしかない。が、確かに昔は、例えば桃井かおりみたいな、いわゆるアンニュイなお姉様を演出するための必需品みたいなモノだったろうし、吸い口についたルージュなんてのも、艶かしく思われていた。まぁ要するに、「女性が吸うタバコ」に、何か性的なイメージを喚起させられたのだ。2ページ目の最初の、店のカウンターで喫煙する女性なぞ、まさにそのような意味での「女性性を強調するツールとしてのタバコ」を吸っている風である。そう考えると、この数十年ですっかり評価が真逆になったという好例かもしれない、女のタバコというやつは。

主人公の「カノジョ」の方は、「かわいい刺繍のついた布の袋に」タバコとライターを入れているところを見ると、上記の女性に比べて、タバコを通じて性的なイメージを振りまくことはないらしい(ただ、1ページ目の最後のコマに「カノジョ」の喫煙の様子が描かれているが、この吸う時の首の角度やタバコの持ち方は艶っぽくてよろしい)。要は、普通にイイ子なのだが、ニコチン中毒なのである。

この主人公、そんなカノジョを慮って、なんとか禁煙させようと説得を試みる。感心したのは、

「体によくないよ」
「以前より本数減らしているのよ」
「確かに本数減ってるようだけど」「肌にもきっとよくないよ」

と、説得の順序からして、女性の場合、「体によくない」ことより「肌によくない」ことの方が決定的であることを知悉しているらしいことである。その様子は伏目がちで、気弱な風でさえあるのだが、意外としたたかなヤツなのかも知れない。

それにしても、「カノジョに愛を告げる」際に「ハートに流れるブラームス」って、一体どんなのなんだろう。

以上、タバコを止めたい団塊ジュニアのたわごとであった。


「ハートカクテル」考 ~ vol.013 北へ251キロ

posted on 2011年8月29日 in 「ハートカクテル」考

シリーズ通して見ても、群を抜くシリアスさである。

長野の冬の山奥の旅情で溜めていた情感が、ラストの男の行為で、カタルシスとなって一気に噴き出す流れは、圧巻とさえ言える。
最後の男の哀悼の表情、得も言われぬ悲しみが伝わって来る。そこはぜひ漫画のほうで確認していただきたい。アニメではうまく表現できていない。

ちょうど前回と対照的に、当回は彼女のほうが亡くなっていることから、二部作ということだろうか。


「ハートカクテル」考 ~ vol.012 兄のジッポ

posted on 2011年8月28日 in 「ハートカクテル」考

涙なしには語れない、初期の名作だと思う。個人的には。
というか、ヒロインの麗子さんがタイプである。

何がいいかというと、まずワンレンである。当回は1984年の正月だが、いわゆる「ワンレン・ボディコン」みたいに称されて世間的に認知されるのは、5年ほど後だから、この麗子嬢、大分時代の先を行っているかもしれない。当時の有名人で言えば、小生的には、この年のヒットソング、「雨音はショパンの調べ」の小林麻美あたりが思い浮かぶ。ややパーマ掛かってたものの、「ワンレンのお姉さま」の先駆け的存在と言えるだろう。ちなみに、原曲の、ガゼボ「I Like Chopin」もいいから、下に勝手に貼っておく。
次に、体のラインが滑らかに浮かぶ茶色(恐らくフェルト地)のコートだ。いい女はこれが似合わねばなるまい。その点昨今の若いのは…、などと宣うのは、ここでは止めておく。
そして、何と言っても、若い寡婦である、という点だ。下世話でホント申し訳ないが、男はこれには弱い、はずだ。
こりゃさすがに主人公じゃなくとも、「母さん オレ麗子さんと結婚しようかナ」と、思わず言ってしまいたくなる。まぁ、その時の母さんのショックというか戸惑いといったらないと思うが。昔の農村なんかだと、寡婦は兄弟が引き受ける、というのが当たり前だったらしいけど、そんな時代でもあるまい。

主人公はタケシというらしいが、この名は、前回に引き続き、である。のちにも何度か登場して、恐らく「ハートカクテル」の中で最も良く出てくる男性名だと思うが、カウントするのは止めておく。

この田舎の舞台に、80年代的華やぎは、ない。兄貴なぞ、当時の田舎のヤンキー上がりのような体でさえある。最初のコマなんか、北海道の寒村の駅そのまんまで、こりゃまるで「北の国から」じゃないか。その意味での「ハートカクテル」らしからなさ、みたいなのは、vol.6と同様だが、だからこそ、恐らく遠く都会から来たであろう麗子の存在が浮き立つ。
思うのだけれど、まだこの時期の「ハートカクテル」制作サイドとしては、のちに確立される本作のイメージみたいなものを、はっきり自覚していなかったんじゃないか。画風、色味なんかも、vol.50あたりから急に鮮やかになるのだが、そのあたりから、コレで行こう、といえるものが、固まったのだと想像する。制作陣の試行錯誤が垣間見えるのが興味深い。

ラストの、結局手を握ってしまうくだり、タケシの心の動きが良く伝わってくる。「そ、そうスか」と言うしかないシチュエーション。これって、男ならだれでも似たような経験があると思うが、つくづく本作って、男のファンタジーだよなぁ、と思うのである。






「ハートカクテル」考 ~ vol.011 ノックをしなかったサンタクロース

posted on 2011年8月27日 in 「ハートカクテル」考

2回目のジェシィの店から始まる当回、まさに大人のファンタジーに溢れている。
クリスマスの夜、彼女が出て行った部屋を、「二度と寄ることのない銀河鉄道999が発車してしまったプラットホームのよう」と喩えるなど、実にウマいし、「プラットホームの温度は7℃だった」の伏線からオチへの流れも効いている。目覚めたらキッチンで彼女が料理を作っていてくれた、というのは、時代を問わず、幸せの一つの原形だろうと思う。

「夢のウサギ」は、この後たびたび登場する。夢だけに、なかなかシュールなキャラである。

ところで、ジェシィが主人公の帰り際に、「タケシ よかったら又来ないか 明け方までやってるよ」と誘うのだが、なかなか珍しい誘いじゃないか。それで実際にUターンすることがあるのかどうか、妙に気になった。


「ハートカクテル」考 ~ vol.010 1/3の確率

posted on 2011年8月26日 in 「ハートカクテル」考

男の申し出る「賭け」が随分と回りくどくて、さすがに共感しづらいのだが、そこはさすがに80年代である、というべきか。
ではあるが、クリスマスシーズンのデパートの雰囲気とか喧騒とかがよく伝わってきて、少々胸キュンである。ちなみに、YMOの「君に、胸キュン。」が発表されたのは、他でもない、この83年である。
クリスマスということで言えば、山下達郎の、かの「クリスマス・イブ」がシングルカットされたのもこの年。が、当節はさほど売れず、今に至る知名度を獲得したのは88年のJR東海とのCMタイアップからとなる。

3人目の「みさ子」は、中井美沙子嬢である。なかなかいいオンナではないか。以後、けい子とみさ子の出場回数レースは、みさ子の優勢が続く。
当時から活躍している「みさ子」といえば、田中美佐子をおいて他にいないだろう。「ハートカクテル」を体現する女優といえば、鈴木保奈美を挙げる諸氏が多いと聞くが、だからというわけではではないが、田中美佐子も確かに「ハートカクテル」的なるものを秘めていると思う。この辺の話は、いずれ掘り下げてみたい。

デパートのエスカレーター、というモチーフは、21世紀の「ハートカクテル」、ともいうべき「ハナドキロード」の第7話に、再び登場する。


けい子…2
みさ子…3




「ハートカクテル」考 ~ vol.009 7頭のトナカイ

posted on 2011年8月25日 in 「ハートカクテル」考

明らかに45°ではない、最初のコマの秋の日ざしではあるが、愛すべき小品、といえる一作。

晩秋~初冬をそこかしこに詠み込んでいて、この季節独特の雰囲気をよく味わえる。確かに、MJQ、ミルト・ジャクソンのヴァイブが似合う季節だ。

主人公のカップルが、地に足の付いた付き合いをしているだろうことが読み取れて、安心して彼らの微笑ましいやり取りを眺めていられる。前髪サラサラのみさ子と、いつまでもお幸せに。
トナカイのセーター、今でもよく見かけるが、このトナカイそのものに注目して、「ボクは7頭のトナカイたちに初めて出会った」「8頭目のトナカイは…ひかえめに居る」などと、あたかも生きているかのように扱う、わたせ氏ならではの目線が、秀逸である。

ところで、3ページ目で、別のカップルがピザとジンジャーエールを注文しているコマがあるが、このコマに関していくつか。
いつものノリであれば「ピッツァ」とやるところであるが、どうしたわけか、普通に「ピザ」となっている。何か意図があるのか、忘れてただけか。
背中にお揃いの太極図のロゴ。このロゴ、確かに昔よく見た記憶がある。はて何というブランドだったか。図にはブランド名も配されているのだが、小さすぎて判別しかねる。最近はサーファーのブランドで太極図を用いたものがあるそうだが、それではない。ここにあるように、陰陽が横になっていて、黄と黒のものなのだが。どなたかご存知ないだろうか。
このコマが生む間が、主人公の方のカップルの微妙な心理描写になっているのだが、残念ながらアニメの方では欠落している。太極図のロゴの権利問題故か。


けい子…2
みさ子…2




「ハートカクテル」考 ~ vol.008 彼女の名前

posted on 2011年8月24日 in 「ハートカクテル」考

みさ子のデビュー作にして、シリーズ序盤最大の問題作。

問題なのは、主人公の男である。雑居ビルの別の会社に勤める名も知らぬ女に、密かに恋心を抱く主人公、偶然一緒になったエレベーターを出る彼女を、扉を閉めることも忘れ、呆然と見送る。
そこまでは良いのだが、何とこの男、勝手に女に名を付けることにしてしまった。妄想の中で彼女を呼ぶのに、名が必要なのである。
小生も大の妄想家だが、さすがにそこまではない。名も知らぬ女性について妄想するのは、例えば通勤列車の同じ車両にたまたまキレイなお姉様がいるときなど、その場限りのケースに限られるからである。彼のような情況ならば、名前をちゃんと確認してからでないと、逆に妄想を楽しめないはずだ。対象までの近さと、妄想に必要な情報量は比例するのである。妄想歴30年の小生に言わせると。

さて、いざ名前を決める段になって、何と彼はわざわざワープロを使用する。頭のなかで決めればいいものを、である。しかも、恐らくこれ、会社の備品である。83年当時、業務用の日本語ワープロなんていうと余裕で100万円以上するシロモノだったから、今どきで言えば、会社の5万円のビジネスPCでエロ画像検索してる方が、まだ健全というものじゃないか。
で、出てきた名前が、美砂子、である。いかにもイイ女風の名ではあるが、100万円のワープロ使っただけのパンチに欠けるのは残念だ。

その後男は、何度か彼女とすれ違ったりするのだが、その度に妄想で「美砂子」語りかける。
最後のページで、会社の先輩から、彼女の名が「清水カオル」であり、「プレイガール」で有名なことを告げられ(主人公の名はワタナベであることも明かされる)、それに対するワタナベの返答で幕となる。

「じゃ先輩 人ちがいです」
「先輩 ボクのカノジョの名前は美砂子って云うんです」

ギリギリのラインで作者わたせせいぞう氏の意図は何とか伝わるが、それに反して、ついに現実と妄想の区別がつかなくなった男、ここに新たなストーカー誕生す、的な解釈の方が容易であることが、この回を極めて奇妙なものにしている。

漫画では、主人公には若干コミカルなテイストが付加されていて、 男の異常性がやや薄れ、ちょっとヘンなヤツ、程度にも見えなくもない。だが、アニメとなるとどうだろう、あくまで二枚目で描かれているため、危険さが強調される結果となっている。ぜひご覧あれ。


けい子…2
みさ子…1


「ハートカクテル」考 ~ vol.007 オールドハワイ・コナ

posted on 2011年8月23日 in 「ハートカクテル」考

小生は、このようなシチュエーションを経験したこともなければ、コーヒーを飲む習慣もないので、当回からは特に何の感慨も浮かばないのであるが、ただひとつ、3ページ目の2段目のコマに、画の味わいを感じる。明らかにデッサンが不味く、人物の四肢のバランスやボリューム、角度が不自然だが、だからこその不思議な魅力、アンバランスが喚起する注意、みたいのがある気がする。例えばクリムトの「接吻」なんかもそうだ。いや、美術に詳しいわけでもなんでもないのだが。


「ハートカクテル」考 ~ vol.006 コスモス アベニュー

posted on 2011年8月22日 in 「ハートカクテル」考

「ハートカクテル」連載開始当初は、1983年である。70年代と80年代の間には「神田川」と「Get Wild」ぐらいの隔絶があるが、80年代に70年代の残滓がひょっこり顔を出す、ということが以外にあって、それが80年代の面白さだと、小生は勝手に思っている。
当回における男女には、80年代のポップ性やら洗練性やらを代表する漫画としての「ハートカクテル」には似つかわしくないほど、それらが無くて、むしろ「神田川」がハマるぐらい、生活臭がにじみ出ている。特に、女の部屋の地味さといったら、せいぜい逆さに吊るしたドライフラワーがかろうじて彩りを保っている程度である。外人が描いた間違ったカタカナみたいなのを意匠とする暖簾なんかは、そんなのが親戚のウチにもあった気がするほど、現実染みている。

F市は福岡市、K市は北九州市だろう。わたせせいぞう市の故郷辺りの物語である。


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