またまたやや古い話で恐縮である。
金融サミットの話だ。
「神の見えざる手」に対する米国と欧州のスタンスの違いが、ここまで明白になったのが興味深かった。
欧州にしてみれば、どうして米国の連中が「神の見えざる手」というただのキャッチフレーズをそれこそ神格化してしまうのか分からないに違いない。
「万人の万人に対する闘争」と表現される「自然状態」なる概念がフィクションであることは明らかだが、いわゆる新保守の連中は、フィクションであっては彼らの言説に説得力がなくなってしまうので、それはリアルなんだという幻想を僕等に植え付けるのに躍起である。つまり、彼らは彼ら自身のロジックのために「自然状態」を要請する。「自然状態」という架空が彼らの存立基盤である。
「自然状態」を司るのは、「神の見えざる手」の「神」と同一である。この「自然状態」神は、決してエコロジーの守護神なんかではもちろんなく、人間どもが互いに潰しあってるサマを見て喜んでる神だ。
「自由」は「自然」か、なんてデリケートな議論は出来ないし、二度の大戦の勝利を経て「自然状態」神のご利益をすっかり盲信するに至った現在の米国は、その布教に余念がない。「自然状態」を「発明」した、いわば本家のEUは、その架空性を分かりすぎるほど分かっている程度のデリカシーぐらいは持ち合わせているから、米国の布教活動に対しては随分迷惑している。「自然状態」教のイエズス会とも言うべきマイクロソフトを容れることに最大限抵抗したのは、当然といえば当然だ。
これは意外と根深い宗教戦争になるかもしれない。