新書の値段事情

posted on 2009年1月18日 in

しかしまぁ最近の本の値段に驚いた。新書の類だが、平気で800円とかする。
かつてはそのぐらいが上限だったと思ったが、一冊1,400円てのもあった。ページ数が特に多いわけでもないし、紙質だとか装丁だとか、特にグレードが上がった風でもない。

ぼんやりと理由を考えてみた。(1.)半年ほど前までの石油高騰につられて紙の値段が上がったからか。(2.)景気が悪くて本が売れず、出版業界の判断として「新書はわりかし知識層が読む。知識層はこの不景気でも本は買えるぐらいの財力がある立場に留まり得る。ちょっとぐらい高くてもそんな知識層なら買う。彼らをターゲットに価格設定をすると新書で1,400円はありだ。厚利少売≒ニッチ産業として新書を位置付け直そう」としたからか。(3.)それとも「こんなに不景気で本売ったってタカが知れてるから、印税の面で著者に申し訳ない。この著者は永くお付き合いしたいから、今は我々出版業者が泣くとしても、多少なりとも著者に実入りを持たせて今後の付き合いのネタにするべく、価格を上げたい」と重畳なことを考えたか、とも思ったが、印税の率を上げればいいだけの話なので、これは却下だ。

で、(1.)及び(2.)だが、(1.)が理由ではあるまい。事実として石油の値段は旧に復しつつあるし、そうなることはある程度誰の目にも分かっていたはずだからだ。で、(2.)だとすると、恐らくそういうことなんだろうけど、一番タチが悪い。何故かというと、産業の側から見るとそれはニッチでも、社会的要請というのがあるとして、その側から見ると、殆どそれは公共事業に等しいからだ。戦後の日本のわれわれ一般民衆が、それなりに教養なるものと切り結ぶ接点として、岩波サンやら講談社サンやらが提供してくれた「場」というものは、いろいろご批判はあろうけど、なかなか有り難いもんだと僕は受け止めている。たかだか数百円で、「知」の、ほんの一端だろうけど、その一端に触れられるのだ。それが1,000円前後となれば、「知」の格差は益々進む気がする。たかが1,000円と言うなかれ。「数百円」と「1,000円前後」じゃ、年収が百万円の単位で四捨五入すれば余裕でゼロになってしまうような身にはずいぶん印象が違うもんだ。

『日本一小さな大大名―たった五千石で、徳川将軍家と肩を並べた喜連川藩の江戸時代』 山下昌也著

posted on 2008年11月27日 in

日本一小さな大大名―たった五千石で、徳川将軍家と肩を並べた喜連川藩の江戸時代/山下 昌也
¥1,365
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タイトルから、江戸時代に存在したタイニーでノーブルな藩についての悲喜こもごもを、コミカルなタッチも交えて紹介する一冊、と推察したのだが、果たしてその通りであった(そりゃそうだ)。
だから、この本はテーマの選択の時点で勝利している。
な~んにも構えずに、ただひたすら読む快楽に身を任せればよい。
だから僕も、特に感想はない。
感想はないけど、心にほんのりとした「をかし」が芽生えた。
ちょうどそんな本を探していたから、いい買い物をした、と思った。

~覚えておくこと~
・水戸光圀は南朝正統論から足利尊氏を逆賊扱いしたが、尊氏の子孫に光圀の子孫が養子に入ったという、歴史の皮肉。

『民主党派閥抗争史―民主党の行方』 板垣英憲著

posted on 2008年11月25日 in

民主党派閥抗争史―民主党の行方/板垣 英憲
¥1,575
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自民党について書かれたものは数多くあるが、民主党のそれはやっぱり少ない。そんな中、ある程度包括的に、かつ手頃で平易に書かれたものとして、本書はちょうど良いと思う。

筆者独自の民主党への提言として、「民主党は『友愛』民主党となれ」というのがある。オーナーである鳩山由紀夫がかねてから「友愛」を掲げていた、というのもその理由の一つだが、世界史上最大級の民主革命であるフランス革命の旗印、自由・平等・博愛のうち、今のところ自由を自由民主党が、平等を社会民主党が担っているとして、じゃあ民主党は博愛を担おうじゃないか、ということだそうだ。
なかなかウマいこと言うもんだが、ウマいという以上の「何か」は、ない。多分。

校正が甘過ぎ。次の版を待ったほうが良いかもしれない。

~覚えておくこと~
・民主党内の各派閥。小沢派「一新会」、羽田派「政権戦略研究会」、川端派「民社協会」(旧民社党系)、菅派「国のかたち研究会」、鳩山派「政権交代を実現する会」、横路派「新政局懇談会」(旧社会党系)、前原・枝野派「凌雲会」(旧さきがけの若手系)、野田派「花斉会」の、八個師団。
・結党当初、横路孝弘は「陰の党首」といわれるほどだった。それだけ社会党出身者が多く、「横路新党」の様相すら呈していた。
・前原代表の後任として、渡辺恒三擁立の動きがあった。筆者によれば、渡辺は未だに「総理大臣への夢」を抱き続けており、前原・枝野派や野田派がそれを担ぐという。
・小沢は去年の12月に訪中したが、その際にはなんと、ジャンボ機を3機もチャーターし、千人もの議員や支持者を引き連れて行ったそうだ。

『九代将軍は女だった! 平成になって覆された江戸の歴史』 古川愛哲著

posted on 2008年11月23日 in

九代将軍は女だった! 平成になって覆された江戸の歴史 (講談社+α新書 381-2C)/古川 愛哲
¥840
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家重女性説は、いわゆるトンデモの域を出るものではないが、例えば謙信女性説などに較べると、遺骨なんかの物証が動員される辺り、なかなかその気にさせてくれる。もしそうだとしたら、結構な悲劇であって、著者の筆致はその悲劇性をリリカルに盛り上げる。が、ロジックのアラは相当目に付く。そもそもがトンデモなものだから致し方ないのは確かだが、そこを如何に上手くダマしてくれるかに僕らは期待してるのだ。

他にも、江戸時代の数々のトリビアや事件に対する(トンデモ)解釈が掲載されていて、なかなか楽しめる。とりわけ、浅野内匠頭の刃傷事件は大名同士の「不通」問題に端を発するとの説は、ナイスなトリビアであった。ただし、歴史的事実の誤りが多い。それ自体トンデモに則った「解釈」なのか、それともただの間違いなのか。前者なら、それと分かるような書き方をして欲しい。

~覚えておくこと~
・「華族真田幸民氏の珍訴訟」
・秀忠遅参の理由は、路銀が無くて、本多政信が江戸に取りに帰っていたから?
・稲富一夢(祐直)の数奇なる人生
・「天下普請」は浪人の雇用問題対策で、それを読めずに国許から人足を連れてきた肥後加藤家は改易に?
・「尊王攘夷」の「夷」は、そもそも江戸幕府の意だった?

『自民党―転換期の権力』 毎日新聞政治部編集

posted on 2008年11月22日 in

新聞記者連中が書いてるだけあって、随分と読み応えがあった。国家の権力が中曽根内閣でもって相当量総理に集中しましたよ、という説明なのだが、86年の初版発行だから、その後も随分と行政改革が叫ばれ、それをやって、何とか十数年後の橋本内閣で一応の結実を見たことになってるんだけれども、未だに官僚だの党派だの利権団体だのの束縛からいささかもフリーじゃない様子の現在の内閣総理大臣像を知る僕等としては、あの時分でそれほどのムーヴメントが表裏であったなら、今に至るまで何ぼあったのよ、というところが、正直な感想である。

僕が生を受けたのは73年だが、それ以降の大総理といえば、中曽根と小泉に尽きる。大総理の芽はあったのだけれど叶わなかったのは、竹下、橋本、小渕か。田中がそうだったから、木曜クラブ→経世会の流れは、よくよく運がないのかどうなのか。

~覚えておくこと~
・香山健一なる学者が、中曽根行革の理論的背景を提供していたらしい。
・この本が書かれた当時でさえも、(旧)社会党のグダグダは露見していた。
・ODA調査団を含む海外視察団の報告書たるや、見事にいい加減なものである。…的な、当時の、税金の無駄遣いとか、代議士や官僚のモラルの低下現象は、想像を超えたものがある。現在それがどの程度改善されたか、それこそ少なくとも新聞記者並みのコミットをしなければ分からないのだろうけど、それはそれとして、このことを僕らなりに、あらためて注目する必要がある。

『自民党 政権党の38年』 北岡伸一著

posted on 2008年10月25日 in

自民党―政権党の38年 (中公文庫 き 34-1)/北岡 伸一
¥980
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今まで大下英治の一連の政治家列伝にお世話になってきた。列伝だけあって、現象は登場人物たちの意思と行為の結果として捕らえられがちなのだが、そろそろ別のアプローチの現代日本政治史本を読みたいと思い、この本を買った。
細川政権が誕生して五五年体制が一旦途切れるまでの自民党史を、日本における政党の誕生から説き起こしており、学者が書いただけに、人物のパーソナリティよりは構造を解き明かすことを主たる意図としている。
ただ、章を追うごとにその意図がどんどんぼやけてきて、しまいには大下英治と何ら変わらないノリになってしまったのが残念。
巻末の付録に、「戦後衆議院議席」、「自民党四役・閣僚一覧」、「自民党派閥の系譜と消長」といった資料があり、僕なんかは眺めてるだけでも心が躍る。これだけでも買った価値はあった。

~覚えておくこと~
・選挙法の改定のたびに有権者が増え、それに伴い藩閥による選挙干渉が効果を挙げていった。何故なら、高額納税者ほど「裕福で、意識が高く、簡単に誘惑や脅しに屈しなかったから」。
・戦前、陸軍機密費が政治家に資金供給されていた。「これでは、政党は軍には到底太刀打ちできなかったであろう」。
・1947年の衆院選で片山哲の社会党が第一党となった。自由党と民主党で二位三位連立を組むこともできたが、吉田茂は憲政の常道に反するとしてこれを退けた。「戦前の政党が無原則な権力追及を行って、政党政治の基礎を掘り崩してしまったことを、吉田はよく知っていた」。
・1951年ごろの保守勢力は三者。自由党吉田派(緒方竹虎含む)、自由党鳩山派(三木武吉、河野一郎、大野伴睦、石橋湛山ら)、改進党(重光葵、松村謙三ら)。自由党鳩山派と改進党は54年に一旦日本民主党(岸信介含む)となり、保守合同へ至る。この辺の経緯は複雑なので、最勉強の必要も。
・吉田と鳩山の対立軸は、吉田が軽武装・対米協調なのに対し、鳩山は再軍備・対米自主。岸と石橋は鳩山シンパだが、吉田と鳩山が去ると、岸が再軍備・対米協調、石橋が軽武装・対米自主となり、対立軸を打ち出した。