裁判員制度を勘繰る

正直不勉強でよく分からないんだが、いよいよ施行に向けて本格的に動き出した感のある例の裁判員制度、ありゃ悪法だろ。裁きは法でもってやるもんだから、それを体現するのは法のプロなはずである。法の世界なんて、あんまり複雑に入り組んでるものだが、結果としてそうなったんじゃなくて、そもそも入り組まざる得ないものである。だからこそ裁判官という専門職中の専門職が存在するわけだし、司法試験はやたらと難しいわけなのだ。素人無用であるべきの最たるフィールドと言っていい。そんな世界において、無作為抽出された素人に責任の片棒担がせようなんてのは、そりゃおかしいに決まってる。裁判官らが己の責任を分散→軽減→回避しようとしてるとしか思えない。裁判員制度のお題目として一番大きいのが、裁判とは果たして如何なるものかを一般庶民に啓蒙する、みたいのだそうだが、そりゃ大いに結構だし、僕も啓蒙されたいし勉強もしたいけど、その手段がこれじゃあ、啓蒙以前にコトに携わらねばならんという、本末転倒というか何というか、とにかくワケが分かんない状態にしかならんだろ。

ま、ここまでは広く一般に言われていることであって、僕があらためて書くまでも無いだろう。実のところ、僕のこの問題における関心は、その成立過程にある。

当然この裁判員制度なるものは、かつてのある時点(2004年5月だそうだ)に立法され、公布されたわけだが、その過程を我々一般国民は良く知らない。知らされていない。僕はこのブログで政治をネタにした記事をいくつも書いてるけど、恥ずかしながら法が成立する様式を良く知ってるわけでも何でもなく、ただひたすらアマチュアの政局ウォッチャーなだけである。と、卑怯にも免罪符を掲げつつ問うが、成立までの段階で、それに反対した政党があったんだろうか。あったんなら、今こそそのことを声高に訴えて何ぼだと思うのだが、そんな気配はどの政党からも見えてこない。あの時反対の機運がいささかでも起こっていれば、この悪法は葬られてたかもしれないのに、それこそ遺憾である。
メディアも今になってあーだこうだ言うんじゃなくて、事前にしっかり監視し、我々に周知せしめるべきだったはずだ。
なんか、ちょっと前の「ホワイトカラーエグゼンプション」騒動もそうだが、衆院解散して国民の審判を仰ぐとかしても良さそうな法案が、スルっと通りそうになったり、通ってしまったりするのが怖い。

こりゃこっそり通さねばならんウラの事情があるんじゃないかと勘繰ってしまう。いや、そうに違いない。

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