『自民党 政権党の38年』 北岡伸一著

自民党―政権党の38年 (中公文庫 き 34-1)/北岡 伸一
¥980
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今まで大下英治の一連の政治家列伝にお世話になってきた。列伝だけあって、現象は登場人物たちの意思と行為の結果として捕らえられがちなのだが、そろそろ別のアプローチの現代日本政治史本を読みたいと思い、この本を買った。
細川政権が誕生して五五年体制が一旦途切れるまでの自民党史を、日本における政党の誕生から説き起こしており、学者が書いただけに、人物のパーソナリティよりは構造を解き明かすことを主たる意図としている。
ただ、章を追うごとにその意図がどんどんぼやけてきて、しまいには大下英治と何ら変わらないノリになってしまったのが残念。
巻末の付録に、「戦後衆議院議席」、「自民党四役・閣僚一覧」、「自民党派閥の系譜と消長」といった資料があり、僕なんかは眺めてるだけでも心が躍る。これだけでも買った価値はあった。

~覚えておくこと~
・選挙法の改定のたびに有権者が増え、それに伴い藩閥による選挙干渉が効果を挙げていった。何故なら、高額納税者ほど「裕福で、意識が高く、簡単に誘惑や脅しに屈しなかったから」。
・戦前、陸軍機密費が政治家に資金供給されていた。「これでは、政党は軍には到底太刀打ちできなかったであろう」。
・1947年の衆院選で片山哲の社会党が第一党となった。自由党と民主党で二位三位連立を組むこともできたが、吉田茂は憲政の常道に反するとしてこれを退けた。「戦前の政党が無原則な権力追及を行って、政党政治の基礎を掘り崩してしまったことを、吉田はよく知っていた」。
・1951年ごろの保守勢力は三者。自由党吉田派(緒方竹虎含む)、自由党鳩山派(三木武吉、河野一郎、大野伴睦、石橋湛山ら)、改進党(重光葵、松村謙三ら)。自由党鳩山派と改進党は54年に一旦日本民主党(岸信介含む)となり、保守合同へ至る。この辺の経緯は複雑なので、最勉強の必要も。
・吉田と鳩山の対立軸は、吉田が軽武装・対米協調なのに対し、鳩山は再軍備・対米自主。岸と石橋は鳩山シンパだが、吉田と鳩山が去ると、岸が再軍備・対米協調、石橋が軽武装・対米自主となり、対立軸を打ち出した。

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