らっきょと弘前

posted on 2008年10月9日 in 雑感

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青春時代の本質は、「だって、らっきょが転がるんですもの! 」であるはずだし、であるべきだ。中学や高校を卒業するとなって、どの学校、就職先、プー太郎としての生き方を選択しようとも、それでも地球は回るし、らっきょは転がるのだ。教育に携わる身として、「先生、ここで学べて本当に良かったです!」と、送り出した卒業生の数ほどに言われて来たけれど、「それはここで青春を過ごしたわけだから、当たり前だ」と、その度に突き放したい衝動にかられ、それに耐えてきた。
僕だってそうなんだと思う。弘前という街で過ごした大学時代、並べ立てれば、そこで得た思い出、経験、人脈、恋愛、酒の味と吐瀉物の味、そして、弘前の町並み、臭い、空の高さ、人の温もり、日が照る時の色の鮮やかさ、雨の時の草花の薫風、そういった要素全てが、絶対的といえるほどの価値を、20年近くたった今も僕へ供給し続けていることに、転がるらっきょの効能を想う。

そりゃ書こうと思えばアメブロのサーバをパンクさせるほどネタはあるが(そりゃさすがにない)、そのうち3つだけ書きたい。

弘前と言えば弘前城の桜だろうが、ゴールデンウィークの時期に調度良い咲き方をする桜が弘前の桜なだけであって、仮にゴールデンウィークなるものが日本になければ、あれだけの数の桜の木が弘前城に植えられることも無かったろう。
僕は大学の一時期を学生の自治寮で暮らしていたから、やたらと酒を飲まされる観桜会があったりとかで、何となく弘前城の桜に、戦前戦中の書生風学生やバンカラ学生、日の丸を背負って動員された学生を重ね合わせ、へべれけになりながらも歴史の堆積を勝手に感じたりもしていたのが、戦前戦中にゴールデンウィークは無い。
あるときそのことにハタと気付いて、なんだか寂しい気持ちになったが、と同時に、戦後の復興にあたる弘前市民のしたたかさも想った。

青森市のとあるライブバーへ定期的に出演することになって、そんな日の帰り、適当にメンバーでぶらぶらして夕方ごろに弘前へ戻ることになった。車に乗っけられて、両脇に秋の田んぼが広がるその道すがら、津軽平野一面に夕日が射し、稲穂がキラキラと金色に輝きだした。すると、見る間にそれは周囲に伝播し、北海道の東の果てで育った僕がかつて遭遇したこともない、圧倒的な景色が、一瞬にして現れたのだ。まさに、王蟲による「金色の絨毯」も斯くやといった調子で、しかも、津軽富士こと岩木山が、その後景にどっしりと収まっていたものだから、神々しささえ感じた。一種の宗教体験といっていい。
あとになって司馬遼太郎が津軽地方を「北のまほろば」と呼んだことを知ったが、あの景色を思い返すにつれ、その言い得て妙なるところを、しみじみと想うのである。

妻とは、あのとき弘前で出会った。妻はどうか知らないが、妻を想うたびに弘前を想う。彼女もまた、僕にとっては、「北のまほろば」だ。
今現在僕は単身赴任の身だが、その内やっぱり家族で弘前に住みたい。そして、早朝か夕方かに、毎日妻と一緒に弘前城の周囲をランニングすることにしよう。
3つ目のネタは、それだけだ。

桜の季節でなくとも、四季それぞれに味わいのある街だから、思い立った時にぜひ一度お越しいただきたい。


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