ビートたけしのオーソリティ

posted on 2008年10月7日 in 芸能

以前、「ほぼ日」でのビートたけしに対する糸井重里のタメ口について書いたが、最近のそれは、どうも「ですます調」が多い。

たけしに相対すると、そうなってしまう人物は少なからず存在する。そりゃ今や日本の映画界を代表する監督の一人だから、というのもあるだろうけど、それほどでもなかった10年ほど前、かの志村けんと、「神出鬼没!タケシムケン」なるバラエティ番組をやっていた。
「8時だョ!全員集合」と「オレたちひょうきん族」の因縁の視聴率競争を覚えている者には興味尽きない企画だった。当初、志村はたけしを「たけちゃん」と呼び、口調もタメ口だったが、回を重ねるごとに「たけしさん」に「ですます調」となっていった。「たけしさん」と呼ぶ時は、テレのためかやや早口だったのを覚えている。
その意味するところは、志村がたけしの軍門に下った、ということだ。

たけしは80年代の中頃にお笑い界の頂点に君臨し、それに飽き足らず、映画界と論壇にも触手を伸ばそうとした。その布石がフライデー襲撃事件である。これは、さらなる高みへ到達するための箔付けとするべく仕組まれたもので、決して衝動的な行動ではない。以来、その圧倒的なオーソリティを武器に、前人未到のポジションを手に入れるのである。
そのたけしが、自らのルーツであるお笑いの世界において、たった一つだけ制覇し「忘れて」いた城があった。志村けんのそれである。バイク事故からの復帰後、たけしは思い出したかのように「タケシムケン」でお笑いを再開しだしたが、これは「思い出したかのように」ではなく、文字通り「思い出した」のである。唯一志村だけを潰していなかったことを。
「タケシムケン」の話が出た時、志村は辟易したはずだ。しかし真っ向勝負の道を選んだ。その勝負は、決してお笑いそのものの勝負ではない。己の権威を認めさせるという、実に子供じみた勝負だった。結果は、たけしの圧勝だった。
勝利をモノにしたたけしは興味を失い、番組はあっという間にクォリティを落とし、そして、打ち切りとなった。
たけしは、大体そんな風にして、のし上がって来たのである。

佐高信並みの「たけし悪人史観」で解釈すると、以上のようになる。
この史観の信憑性は低いけれど、ゼロではない。
ま、要は、お笑いBIG3が好きな僕にとって、そんなあれこれを想像しながら彼らを眺めているのが楽しい、というだけだ。
我ながら悪趣味だとは思うけれど。

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